印象派の誕生―マネとモネ

LINEで送る
LinkedIn にシェア
[`evernote` not found]

印象派の誕生―マネとモネ (中公新書) 印象派の誕生―マネとモネ (中公新書)
吉川 節子

中央公論新社  2010-04
売り上げランキング : 391009

Amazonで詳しく見る by G-Tools

フランスでは19世紀中頃に「印象派」というものがあった。代表的な人物として挙げてみると、本書の副題にあるマネとモネ、ゾラ、ルノワールと枚挙に暇がない。クラシック界でも同じように「印象派」があり、ドビュッシーやラヴェルが活躍した。本書は印象派の研究の中でもマネとモネの比較を中心に「印象派」によって美術の趣がどのように変わっていったのかを考察している。

第1章「印象派の成り立ちを見てみよう」
印象派が起こったのは最初にも書いたとおり19世紀後半である。ちょうど日本では幕末の激動の時代から明治維新を経て、近代化が始まった時代と言える。
印象派の特徴としてはタッチが非常に柔らかで、日常の描写が多く、親近感がわくような絵画が多いように思える(本書で取り上げられている作品を見る限りでは)。

第2章「スキャンダルの真相」
「印象派」の時代の中でもっとも有名なものとして「スキャンダル」がある。今では新聞や週刊誌がある芸能人や有名人を「すっぱ抜く」ことで取り上げることをスキャンダルといわれているが、ここでは1863年に発表されたエドゥアール・マネの「草上の昼食」を巡ってのトラブルを言っている。現在、叫ばれている「児童ポルノ法」の二次元画像の規制と言うのがあるが、それと似ている様に思える。当時のフランス皇帝のナポレオン三世が政府が主催する公募展の落選作品を展示しようと考えた、マネの作品も落選策の一つで、展示されたのだが、余りの卑猥な作品に「けしからん」と言う声があり、強烈な非難を浴びた。

第3章「マネのリアリズム」
マネの画風は鋭い人物描写や社会描写によるものであったという。その描写が現実に向けていることから「リアリズム」に向けた絵画であるという。本章ではマネだけではなく、一世代前に同じ傾向のある画家としてクールベを取り挙げており、その比較も行っている。

第4章「光の画家モネ」
「印象派」として代表される人物としてモネが挙げられる。なぜ彼は「光の画家」と呼ばれたのだろうか。モネは作品を作る場所として専ら外で行っていたという。太陽に降り注ぐ中で自ら感じた自然や描写を絵に起こすことからそう名付けられたのだという。最初にも言ったように「印象派」の作品は暖かみがあるといったが、モネはそれがもっとも際だっていた。

第5章「マネの「印象」とモネの≪印象≫」
「印象派」の画家たちはグループ展を次々と開催していき、「印象派」の作品は徐々に広がりを見せた。
ここでは前々章で紹介したマネと前章で紹介したモネ、それぞれの印象についてを比較している。鍵カッコの違いを観るが、マネの「印象」は他のそれとは一線を画しており、独自の「印象」である。マネの作風が元々リアリズムに徹しているからである。一方のモネは印象派ならではの≪印象≫を持っている。

印象派を代表する画家であるマネとモネを比較した一冊であるが、名字のスペルが一字違いで起こったことを紹介する。マネは展示会で落選の憂き目に何度も遭ったことはすでに第2章で書いたが、モネは1866年に「カミーユ」という作品で入選を果たした。そのときにマネが作者として誤って喝采を浴びたことが遭ったという。にもかかわらずマネとモネは互いに友人であり、マネの葬式にモネも参加していた。印象派の中でも知られざるものがある、マネとモネの中でそれを感じ取った一冊であった。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク