江戸の妖怪事件簿

新聞の馴れ初めは、江戸時代の「瓦版」と言うのがあった。俗に「讀賣」と呼ばれていたものであり、町民にとっては重要な情報源であった。しかしその瓦版は今のように事実が書かれていることもあったが、その中でもデマや妖怪が出たと言った話も多かったのだという。

江戸時代だけではないのだが、妖怪と人間にまつわる物語や話と言ったものは沢山あり、実話にあるのではないかと信じている人も少なくない。元々日本では「死者の国」と呼ばれ、現世もあの世も地続きであるという考えがある。そのことから妖怪や幽霊がいると信じている人も多く、それらにまつわる話が多い所以だったのではないかと思う。
本書は江戸時代における妖怪話を取り上げられている。

一章「江戸時代は、妖怪でいっぱい!」
江戸時代は妖怪の話が沢山あるという。本章で取り上げている幽霊話は沢山あるのだが、年代を見てみると江戸時代の後期、ちょうど「化政文化」が栄えていた時代に当たる。「東海道中膝栗毛」の十返舎一九や俳句では小林一茶、日本画では葛飾北斎や喜多川歌麿が取り上げられる。
時代劇の描写でもこの時代は多く使われており、怪談の舞台もその時代が多くあるというのは窺える。
本書で取り上げられる妖怪は主に猫、狸、狐といった動物の妖怪である。猫と言えば「猫娘」や「化け猫」があれば、狸は葉っぱを載せて自由自在に変化をする、狐も稲荷としてまつられているが、八尾の狐や狐の嫁入りなどがある。

二章「本木村化物騒動」
「本木村」というのは宗像郡本木村のことであり、現在の福岡県福津市に位置する。
この事件は1680年からはじまった。百姓の妻が獣の子どもを孕み、出産をしたが、その女性はその後になくなった。生まれた赤子も死産だった。その後も第二・三と立て続けに獣の子を産み母子共々死ぬと言う事件が相次いだ。
現在、知られている妖怪話の中でもとりわけグロテスクな話に当たる。「怖い」と言うよりも「気持ち悪い」という感情に駆られ、眠れなくなってしまうほどである。

三章「ゴシップとしての怪談」
妖怪のゴシップ話は最初にも書いたとおり瓦版かきているものもあれば、うわさ話として口伝いで広がることもある。最も現在の情報量とは比べものにならないほど乏しかっただけに、新しい報せが入ってくると飛び付く性は今日の日本人の性格を形成づけたと行っても良いかもしれない。

四章「狐の裁判」
妖怪話に限らず、日本神話でも「狐」の印象は様々である。悪い側面では「今昔物語」で若い女に化けた狐の話がある。女性ばかりではなく、男性や動物、さらに妖怪にまで化けるという話も現存しており、狸に勝るとも劣らずの化けの天才である。
今回は妖怪の話であるので、その関連で言うと「狐憑き」が挙げられる。本章でも1844年に起った事件について取り上げている。ほかにも本章では紹介されていないが、安土桃山時代に起った「長篠のおとら狐」の話もある。

五章「妖怪のいる自然学」
日本は生と死が地続きにあり、ちょうどお盆の頃には迎え火や送り火を行う。その間にはキュウリとなすとマッチ棒で馬や牛をつくる。言うまでもないが、早く来て、そしてゆっくりとかえって欲しいという願いからきている。
ほかにも2月には節分があり、そのときには豆をまいて鬼を追い出し、邪気を払う習わしがある。日本の習わしは多岐にわたるが、日本古来からある神道にまつわるものが多数を占める。
しかし妖怪や霊は実在するかというと、それを真っ向から否定する論者もおり、日本古来からある妖怪話を真っ向から否定する人さえいる。

六章「アメリカから来た狐」
妖怪話が栄えた時代は江戸時代後期以降であることは一章にて書いたが、その後幕末となりペリーが浦賀沖に来航すると言うことが起きてから、日本の鎖国は説かれることとなった。本章の題目である「アメリカから〜」という話が出てきても何ら不思議はない時代となった。しかしここでは幕末に蔓延したコレラのことを挙げていることを見ると、社会的なことを妖怪話にとらえている江戸時代の遊び心が見え隠れしているように思える。

妖怪を信じる人、信じない人それぞれ自由である。私自身はそれほど信じていないが、話を聞く限りおもしろいと言うだけの考えである。しかし本書を読むタイミングが見事だったなと自分ながら驚いてしまう。梅雨が明けてうだるような暑さの頃はまさに怪談ブームである。それによって引っ張りだことなる方もいると思うが。背筋も凍るほどの怪談に触れて涼しさを満喫するのも良いかもしれない。本書もその材料の一つと言えよう。