マザー・テレサの真実

マザー・テレサは「無償の愛」を広めただけではなく、「神の愛の宣教者会」をつくり、貧しい人たちに愛を与え、それが認められ「ノーベル平和賞」を受賞した。

本書は著者が1985年から始めた「インド心の旅」の中で何度も会ったマザー・テレサと「インド心の旅」の思い出と考えについて記したものである。

第一章「マザー・テレサ最期の日」
マザー・テレサが亡くなったのは1997年9月である。そのときはイギリスのダイアナ元皇太子妃が交通事故で亡くなった事でメディアは持ちきりで、あまり取り上げられなかったが、私にとってはマザー・テレサの死も同じ様な印象だった。
マザー・テレサについて初めて知ったのは少額3年生の時、マザー・テレサが亡くなる3年前である。そのときは小学生の雑誌において偉人伝の一人として紹介されていた。そのことがきっかけとなり、マザー・テレサについて市立の図書館でいろいろと読みあさった事を今でも覚えている。

第二章「インド心の旅」
著者は「インド心の旅」をはじめとして、マザー・テレサと12年にもわたる交流があった。その中でマザー・テレサの生きざまに触れながら、「愛」「貧困」「命」など、答えが見つかりにくいものを考えさせられ、そして学んでいった。本性の中で最も印象的な言葉がある。
「日本にもたくさんの貧しい人たちがいます。それは、自分なんて必要とされていないと思っている人たちのことです」(p.52より)
この言葉ほど今の日本を象徴するような言葉が見つからない。戦後飛躍的に経済は成長し、GDPも世界第二位まで成長を遂げた。しかし、日本人としての「心」は置き去りにされた。それでもがんばれば何とかなるということが大きな糧となったため、それを気にすることはなかった。しかしバブルが弾け、「失われた10年」に入ったとき、雇用が不安定となり、さらに問題視しなくなった「心」についても「うつ」などの「心の病」となって浮き彫りとなった。また会社においても、家庭においても人間関係が疎遠になりはじめ、マザー・テレサが語った言葉の様になってしまったといえる。

第三章「生命の隣で」
著者が毎年行っている「インド心の旅」では、様々な悩みを抱えた人が集まることで知られている。病を治すというよりも、その中で生きる喜びや命の尊さというのを知るということを本章では読むことができた。

第四章「シスター・テレサ」
ここでは、マザー・テレサの生涯について綴っている。本章でも指摘されているが、マザー・テレサの生誕日は公では1910年8月27日とされているが、これは幼児洗礼を受けた日であり、実際は前日の8月26日であるという。しかしマザー・テレサ本人はずっと8月27日だとはなすことが何度もあることから、それが正しいようにされてしまったのかもしれない。もっとも幼児洗礼を受けた日がキリスト教への忠誠の始まり、そして生まれ変わった日ということを考えると、本人がそれを生誕日とする考えも窺える。

第五章「啓示」
ここでは幾度となく「I THIRST(私は渇く)」というフレーズが出てくる。「渇く」というと、今では「喉が渇く」ということで使われるが、本章でいう「渇く」は比べものにならないほど意味合いが深い。
イエスが痛んで処刑される時、ゴルゴダの丘で磔にされ、死ぬ間際に言った言葉が「I THIRST(私は渇く)」である。これはヨハネによる福音書の第19章にもはっきり明記されている。
「渇く」という意味合いは本章では読みとることはできなかったのだが、マザー・テレサが「神の愛の宣教者会」をたてた理由の一つとして「I THIRST」があるとされているところを考えると、言葉では言い表せないと言える。

第六章「マザー・テレサの遺書」
マザー・テレサの遺書は1993年に書かれたものであるという。その遺書は本書が書かれているときには著者が持っていた。それはなぜか。マザー・テレサが亡くなって間もない時に専門店で偶然見つけたのだという。

「旧約聖書」のみを聖典とした「ユダヤ教」は「戒律の宗教」「キリスト教」は「愛の宗教」といわれている。その「愛」を貧しい人たちのために広げるために東奔西走したマザー・テレサがそこにある様な感じがした。