沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択

9.11が起こって今年で9年になる。このときからアメリカはアフガニスタンやイラク戦争によってイスラム諸国に敵視された時代となってしまった。第二次世界対戦以後続いた「パクス・アメリカーナ」が終焉を遂げたと言われても過言ではない時代となってしまったように。
本書は「ダウンタウン・シスター」や「ブラック・リスト」など、様々なベストセラーを生み出した作家が9.11以後のアメリカに違和感を覚えたことを中心に、自らの生い立ちについて綴っている。

第一章「手に負えない女たち、もしくは、わたしが作家になるまでの経緯」
日本語版が出版されるに際して「拷問とスピーチと沈黙」という名の章が加わっている。「スピーチ」はオバマの演説ことを言っており、拷問は南側で行われたこと、それを関連して考えてみるとオバマの就任演説は、かつてリンカーンが「人民の人民による人民のための政治」の名言を残したゲティスバーグで行われたことに絡めている。
さて本章の話題に移る。本章は著者が出生してから作家を志すまでのいきさつについて記されている。

第二章「キングとわたし」
著者が生まれたのは1947年、第二次世界対戦が終わり、ソ連との冷戦が始まろうかとしている時代に生まれた。そのときのアメリカは人種差別も横行していた時代であった。本章の話題は1960年代、アメリカで「公民権運動」が盛んに行われた時代についてである。
「公民権運動」の発端となったのは1965年、ローザ・パークスがバスの乗車席を譲るのをボイコットしたことにある。約10年にわたって運動が展開された。その中でマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)の「I have a dream」の演説もあり、人種差別廃絶に向けて大きく動き出した。

第三章「天使ではない、怪物でもない、ただの人間」
本書の中でもっとも生々しい内容だった。
本章の内容はもっぱ人工妊娠中絶やレイプ、そして女性の地位向上といったところが中心であった。「自由」という言葉が主軸となっているアメリカであるが、2001年に始まったウォーカー・ブッシュ政権の批判もある。というのは「宗教右派」と呼ばれる団体の批判につながっている。というのは「宗教右派」の思想の根幹は「保守」であるが、宗教的な排斥も多く、とりわけ、人工妊娠中絶や女性の地位向上には猛反対としていた。そのため、女性の地位を訴える人たちに向けて「悪魔」や「怪物」呼ばわりする事もあったという。

第四章「iPodとサム・スペード」
本章は自伝と呼べる箇所が少なく、むしろアメリカ独立以前の歴史をなぞりつつ、アメリカの現状について指摘をしている。アメリカ人の夢の中で「iPod」が出てきており、「サム・スペード」は著者が読んだ小説(短編集?)の「マルタの鷹」からきている。

第五章「真実と嘘のダクトテープ」
9.11以後、アメリカの根幹にあった「自由」という文字が音を立てて崩壊した。空港でのチェックは非常に厳しく、危険物チェックのためだけに全裸にされることも少なくなかった。さらに言論の自由も半ば失われたようにブッシュを批判、もしくは皮肉をした論者はFBIに逮捕されるか、過酷な尋問を受けるケースもあったという。
「自由」という言葉が音を立てて崩れ、「監視」という言葉が生まれ、暗い時代となってしまった。

「自伝的エッセイ」と表記されていたのだが、生い立ちも絡めながらアメリカやイギリスの歴史についても盛り込まれており、さらに作家(訳者?)独特の言い回しもあり、読みごたえがあったように思える。9.11以後アメリカは悪い意味で大きく変わってしまった。そして政権のバトンはオバマの手にあるのだが、大統領候補の時とは違い、支持率も芳しくない。日本の政権も先の事件もあり急速に信頼感を失っている。その中で政治的な決断を下せる力が日米の両トップにあるかどうか、試されているといっても過言ではない。