梅棹忠夫に挑む

生態学者であり、民俗学者でもあり、そして何より「知の技法」の元祖とも言われた梅棹忠夫氏は今年の7月3日に老衰で逝去された。民俗学や生態学特有のフィールドワークを生かしながら「知的生産の技術」が誕生し、40年を迎えようとしていたときに本書が生まれた。本書は「知の技法の巨人」と言われる梅棹忠夫氏の米寿を記念して、シンポジウムを通して生態学、民俗学、そして知の技法について様々な角度から問いかける(と言うより挑む?)一冊である。

第一部では梅棹忠夫氏の生い立ちと学問のアプローチの変遷について、を綴っている。

第二部ではいよいよシンポジウムを通した梅棹氏の研究、対談を通じて梅棹理論の神髄について迫る。

最後の第三部では梅棹氏自らが文明、学問、そして自らのことについて語ったものである。

本書を通じて「知的生産の技術」ではあまり出てこなかった梅棹氏の思想が浮き彫りとなった野と同時に対談を通じているので梅棹氏の肉声が文章から出てくるような気がした。
本書を読みながらこの話を聞いたことがある。今から12年前の1998年、映画評論家の淀川長治が逝去されたときのお別れの会にて、黒柳徹子氏が「アフリカの国ではお年寄りが亡くなると、大きな図書館が一つ消えたようなものだと言われています。淀川先生はまさにその一人でした(「映画少年・淀川長治」より一部改変)」と語っている。

梅棹氏の死はまさにその言葉が似合っていたのかもしれない。