タスキを繋げ!―大八木弘明-駒大駅伝を作り上げた男

正月になるとこのシーズンがやってくる。昨日には実業団対抗の「ニューイヤー駅伝」、そして本日と明日の2日間行われる「東京箱根間往復駅伝競走」、通称「箱根駅伝」が開催される。

本書は優勝候補の一つと目される駒沢大学の駅伝監督、大八木弘明の伝記といえる一冊である。大八木弘明(以下:大八木)はかつて弱小集団と呼ばれた駒沢大学を常勝軍団にまでし、出雲・全日本・箱根と通算15勝獲得した闘将と、闘将の下で陸上に励む駒大駅伝部について2007〜2008年の約2年にわたり取材してきた記録である。

第1章「山下りに魔物がいた」
6区、復路最初の区間であるのが、「山下り」と呼ばれるところである。上位陣が例年1時間を着るスピードレースとなる区間は想像以上に過酷である。というのは山下りはスピードは伸びるが足の負担が平坦な道や上り坂よりも強いため、走り終えるとタコや血豆を作るほどであるという。
思っている以上に過酷な区間である6区に2年連続で挑んだランナーについて綴っている。大八木はタイムについても見るが、それ以上に選手からでるエネルギーもみて叱咤激励を行うという。
確か昨年放送された「もうひとつの箱根駅伝」という番組にて、9区〜10区にかけて大八木が選手たちに檄を飛ばしている姿を思い出す。たしか「男だ!」ということを言っていた記憶があるが、調べてみると、その言葉で走る足が軽くなったというランナーもいたという。

第2章「決戦前夜」
箱根駅伝に向け最後の調整が行われるのは例年クリスマスから年末にかけてである。それはどこの大学も同じかもしれないが、調整練習の中でタイムやモチベーションを見て、当日のエントリーを誰にするのかを決める。監督としてはもっとも細心の注意をはらう時期である。練習メニューから調整に至るまで自らの経験と学んだ理論を元にきめ細やかに作られているところが印象的だった。

第3章「「鬼」がやってきた」
大八木が駒大のコーチとしてやってきたのは1996年、それ以前にも選手として箱根路を経験したことがある。実業団でも活躍していたが、当時の駅伝コーチの懇願によりコーチになったのだという。
当時の駒大はシード圏内すれすれの所におり、本命と目されることは無く、下位をさまよっていた。さらに選手の環境はというと荒廃し続けていったのだという。大八木が最初に行ったのは「選手の意識改革」であった。本章でも意識改革のエピソードについていくつか紹介されているが、ドラマ「スクールウォーズ」のようなシーンもあり、家族を犠牲にするというシーンもありと生活をすべて「駅伝」に捧げる姿があった。

第4章「記録会の夜」
「記録会」とは日本体育大学が運営する陸上の記録会のことを言っている。横浜の青葉台にある「健志台キャンパス」がその舞台である。大学のみならず、高校や実業団がエントリーされる。厳密なタイムをはかることができ、しかもインターネット上に公表される。大会に向けてのバロメーターや、ライバル団体の選手の実績も一目でわかるところから意義は多い。
駒大も例外ではなく、記録に向けて、大八木は選手に檄を飛ばすことも少なくなかったという。

第5章「「大砲」なきたたかい」
「大砲」というのはいったい何なのかというと、主力選手、とりわけ集団から大砲のごとく差を広げていくような速さで走る選手のことを言う。
著者が取材した時期(2007〜2008年)は駒大には「大砲」と呼ばれるべき選手がおらず、むしろ東海大には佐藤悠基、早稲田大には竹澤健介、日大にはキダウ・ダニエルなどが揃っていた。
その「大砲」が出雲駅伝では如実に活躍をする(ただしコンディションにもよるが)。しかし当時の駒大には「大砲」と呼ばれる存在がいなかった。それが足枷となり4位に甘んじてしまった。

第6章「伊勢路に凱歌あがる」
「伊勢路」といえば「全日本大学駅伝」である。例年11月に行われ、今シーズンは早稲田大学が制覇した。
伊勢路を駆け抜ける全日本大学駅伝は文字通り全国から予選を勝ち抜いた大学が参加する。なお出雲駅伝は全国ではあるが、アメリカのアイビーリーグが参加することで氏られ、箱根駅伝は関東が中心と言われている(確か第80回のみ学連選抜として全国に門戸を開いたことがある)。
駒大は過去7度の優勝を誇り、箱根駅伝と同様相性の良い駅伝として知られていた。
本章はその全日本大学駅伝について綴っているが、ちょうど取材されたときは駒大に凱歌が上がったときであった。

第7章「直前合宿」
2つの駅伝が終わると、ほとんどの大学は箱根駅伝に照準を合わせる。とりわけ年末に向けては最終調整や直前合宿で、第2章でも述べたように箱根路で走るランナーの選抜の材料とする。
駒大の直前合宿は伊豆大島の模様を綴っているが、本章ではさらに箱根駅伝とは別に北京オリンピックを目指すランナーについても取り上げている。大八木は箱根駅伝のみならず、駒大OBがマラソンに挑む時も駒大生とともに指導をしていたという。

第8章「遙かなロード」
いよいよ箱根駅伝である。箱根駅伝は日本の駅伝レースの中で最長であり、かつ歴史も最長である。駅伝よろしく歴史の襷も長きにわたって続いている。今年で87回目となる。
本章ではその箱根駅伝の歴史、そして2008年に行われた箱根駅伝の顛末を綴っている。

駒大は箱根が終わってもレースは続いている。全国で開催される駅伝やマラソンに続々とエントリーをし、実績を積む為である。それがよくシーズンの駅伝へのバロメーター、さらには卒業した後には実業団でマラソンを行う者もいる。96年から続いている指導は今年で15年を迎えるわけであるが、その指導は変わることなく、燦然と駒大駅伝部とともに輝きを放ち続けている。箱根路の往路が行われている今日、この日も。