雑草軍団の箱根駅伝

昨年の10月に立川で行われた箱根駅伝予餞会にてトップ通過した大学があった。その名は拓殖大学。拓殖大学は箱根駅伝の常連ほどではないのだが、数年に1度出場するほどの大学であった。しかし今年は今までの拓殖大学とは違った。主砲と呼ばれる外国人選手、ジョン・マイナを擁し、さらに監督も4年前に亜細亜大学を総合優勝に導かせた岡田氏である。今年の台風の目となるかどうか注目である。

本書はその岡田氏の生涯と優勝した時のレースの回顧録の一冊である。

第1章「箱根駅伝の伝統と戦略」
箱根駅伝が行われるのは今年で87回目、おそらく駅伝レースの中ではもっとも歴史の長いレースと言える。一方TV放送が行われたのは87年である。その前にもテレビ東京系列で一度だけ箱根駅伝の模様が放送されたのだが、人気は芳しくなかった。一年後に日本テレビが放送されたのがうけ、以後日本テレビ系列の放送として、さらには正月の風物詩として定着していった。

第2章「じっと我慢の往路5区間」
優勝した年の箱根駅伝にて亜細亜大学の走りにある特徴があったことが印象的だった。10km、15km地点、ちょうど節目となるところでランナーは腕を回すのである。監督の教えなのか、亜細亜大学の伝統なのかと勘ぐることがあったのだが、本章ではそのことについてもふれている。その腕回しには「選手とのコミュニケーション」があるのだという。レース途中では運営管理車から監督の指示や檄が飛び出すことが何度もある。腕回しはそのことについて「聞こえている」という意思表示のために使っているのだという。

第3章「絵に描いたような逆転の軌跡」
亜細亜大学が優勝する前は前に紹介した駒大の「黄金時代」と呼ばれるほど強かった。2000年の優勝を皮切りに、2002年〜2005年まで4連覇を果たしていた。その年も調子が良く史上2校目の5連覇も手に届くほどだった。
では亜細亜大学はというと、優勝候補にも上がらないほどの存在ではあったものの、昨年はシード権を獲得していることから実力はあった。
本章では2006年に優勝をもぎ取った大逆転劇について回顧した所である。

第4章「駅伝との出会い」
ここでは著者の生い立ちについて綴っている。駅伝人生の中で恩師と呼ばれる存在の中でシドニーオリンピックにて高橋尚子を金メダルに導かせた名監督、小出義雄との出会いについても言及している。

第5章「営業課長の出向監督」
大学を卒業した後、就職するが、それと並行して陸上活動も続けていた。営業を続けながら出向先で陸上部を立ち上げ監督に就任した。本章のタイトルのようになった。
その中で後に10000m、及びマラソンで活躍した松野明美ら有名女子陸上選手を育て上げた。
本章ではそのことに加え、亜細亜大学就任当初の話についても綴っている。

著者の生い立ちと亜細亜大学が初優勝を決めた秘訣というのがぎっしりと詰まった一冊であった。著者は昨年の春に拓殖大学の駅伝監督に就任し、おそらく同じこと、もしくはそれに拓殖大学の形に合わせるようカスタマイズをしたのかもしれない。どちらにしろ今年の台風の目となっている。さて、今年の箱根はその「岡田マジック」を見せることができるのだろうか。いよいよ復路が始まる。