大学破綻 合併、身売り、倒産の内幕

2004年に「独立行政法人制度」が始まって7年を迎える。東大などのブランド大学であればさほど心配する必要はないのだが、地方の大学では産学連携など様々な対策を立てなければやっていけない。ほかにも「大学全入時代」と言われるが如く、大学が乱立をしているのもその原因として挙げられている。本書は、様々な受難を抱える大学の現状とこれからについて考察と提言を行っている。

第1章「崩れ始めた日本型「大学ビジネス」」
高度経済成長期の大学進学率はだいたい2割程度だった。そのころ社会人になった人の中には中卒や高卒が多く、「大卒」であること自体大きな武器を成し得た。
やがて大学進学率も上昇の一途をたどっていった。しかしそれまでは緩やかに伸びるというものであったが、バブル崩壊以後は一気に進学率が伸び、2007年についに「大学全入時代」が到来となった。

第2章「教育力は再生するのか?――脱「旧帝大モデル」という活路」
大学教育の現状について述べるとともに、「旧帝大モデル」を基調とした新しい教育モデルについて提言をしている。
大学の現状として挙げられるのが「なんとなく大学生」が多いと言うことにある。法律や経営分野を学びたいからという理由で大学に進学をした、というわけではなく、なんとなく進学をした人も多いことにあるという。
しかしこれは大学生ばかりのせいではない。進学を勧めている高校にも原因はある。というのは、大学進学のデータによって進学校のブランド化を押し進めるあまり、成績順に大学進学を割り振ったり、内心により進学先を指定したりする高校もある。個人の自由はある程度入っているが、大概進路指導の圧力によりなんとなく進学したという状態が作り出されてしまった訳である。

第3章「タイプ別・日本の大学それぞれの「いま」」
大学にもいくつかの「タイプ」に分かれている。たとえば「早稲田」や「慶応」、「日大」は「マンモス校」と呼ばれており、全校生徒だけでも数万人にも及んでいる。学費もかなりはいるため経営的には潤うようだが、教員1人が抱える学生の数も自ずと大きくなる(だいたい60〜70人ほど)。教員も学生1人1人、細やかな指導ができず、十分な教育を受けることができないという弊害が生じているという。
マンモス校であれば大学競争の中ではある程度有利にたっているが、むしろ不利なのは中小の大学、とりわけ短大や女子大などが挙げられる。大学独自の色を強く出していかない限り生き残れない。事実私が生まれ育った北海道でも私が大学を卒業するまでに約半分の短大が大学に変わったか、募集停止となった。

第4章「受講生はなぜ「大学選び」を誤るのか?」
第2章で学校の成績から大学志望の圧力がかけられ、しかたなくその大学を受験する人もいるが、中にはオープンキャンパスなど大学の中身について触れて、この大学で勉強したいと思い、志望する人もいる。
私も大卒であるが後者であった。元々商業高校だったため、受験勉強で進学をしたのは私くらいで、あとは学校が持っている「指定校推薦」を使って推薦入学した(ちなみに私はセンター試験経由の推薦入学だった)。
大学に関する情報もあまりなかったところだったが、たまたま大学の「オープンユニバーシティ(※)」で魅力に触れて、学びたいと思い進学をした経緯がある。
本章では大学選択失敗の理由としてパンフレットなどからの情報収集のみに終わってしまうのではなく、実際に大学に足を運び、大学の空気に触れてほしいと提言している。

※ 従来の「オープンキャンパス」とは違い、大学とは違う会場を借りて実際の大学講義を体験するというもの。北海道のように移動時間のかかる所でも交通費があまりかからず、大学の雰囲気を味わうことができる。

第5章「大学から日本がよみがえる」
あまりにも誇大し過ぎているような気がするが、大学と会社のあり方とはいったい何なのかは考えさせられる。大学と企業を挙げてみるとして、
大学→「知的研究」もしくは「学問」を究める場
企業→「ノウハウ」や「アイデア」などを駆使して利益を得る場
となる。この2つの間には言うまでもなく隔たりがあるように見える。企業と大学の関係を埋める、そのためには大学の授業をもっと活性化した方が良いと言っている。

第1章〜第4章はなかなか面白く、かつ自らの大学時代について語ることができた。しかし第5章は「産学連携」や「ノーベル賞」の様に、産業との連携や学問を究めることにより学生にあこがれを持たせる、と言うことを想像していた。しかし第5章は大学における「教育」で日本を救えというもの。現実味があるように見えるようだが、それで日本が救えるかどうかは疑問のように思えてならなかった。ただ、現実として活気のある「講義」と考えると、ハーバード大学の「これから正義の話をしよう」のマイケル・サンデルの講義がその理想の一つと言えるのかもしれない。日本でそれができるのかどうかは疑問であるが。