冒険としての社会科学

当ブログは主に書評を行っているが、いくつかカテゴリーに分けての書評も行っている、ブログの左にあるカテゴリーを見ていただければ幸いだが、主に「人文」「社会科学」「理数系」「文芸・評論」「ビジネス」と分けている。私の読書傾向からこの5種類に分類しているが、私の所の「社会科学」は主に「社会問題」「政治」と言った本に分類している。前身の「蔵前トラック」でもそれらの類はずっと書評し続けているのでなじみ深いと言える。

では、そもそも学問における「社会科学」はいったいどのような学問なのだろうか。簡単に言えば、自分が今の「社会」に対してどのような見方をするのか、について考察を行っている学問である。その考えの中には「資本主義」や「社会主義」など小難しい物があるが、本書はそういった言葉は使わない。むしろ前知識もそれほど必要もなく、「社会の見方」というのを見ていく、それがあたかも「冒険」という形にして表しているのが本書である。

第一章「社会科学はこうして学ぶ」
しかし「社会」を見るための学問なのに、どうして「科学」が入るのかという疑問も生じる事だろう。では、どのような所に「科学」があるのだろうか。一説では「科学」は物体など形のあるものなどに対して客観的に考察を行う学問群である。客観的に見るベクトルを「社会」という一つの大賞にしているため「社会科学」と名付けられている。
とはいえ「社会科学」は「科学」ではないという批判もあり、心理学や考古学、経済学、政治学などがカテゴリー化してつくられたと言う方が現在の状況でしっくりくるのかもしれない。

第二章「日本国憲法はどこが美しいか」
本書が「社会科学」に関して局所的に考察を行っている所は2つある。一つは「日本国憲法」、もう一つは「マルクス主義」について述べている。
まずは「日本国憲法」の前編である。ここでは憲法の在り方、そして「憲法」はどうしてつくられたのか、歴史とともに追っている。
とはいえ「日本国憲法」という括りだけに収まらず、世界で「憲法」という概念が誕生したこと、さらにはその背景にまで至っている。
「日本国憲法」というと何かと「9条」にとらわれがちであるが、ここでは「自由」「権利」「義務」「責任」の在り方を考察している。

第三章「マルクス主義はどうしてダメになったか」
60年安保から70年代前半まで「社会科学」をやる人は皆マルクス主義者であったのだという。著者もその例外に漏れていなかった事をカミングアウトしている。「60年安保」や「大学紛争」を通じて現在の権力者に反発をすることによって、世界は変えられると信じ切っていた。さらに古い資本主義の在り方をこの手で変えようと志していたことも一つの要因と言える。
マルクス主義に飲まれていった人の中には「三菱重工爆破事件」「よど号ハイジャック事件」を起こした。
経済が右肩上がりに成長していくことによってマルクス主義は衰えを見せていったのだが、「貧困」や「格差」という言葉が出てき始めた頃からまた息吹を見せている。もしかしたらマルクス主義の栄枯盛衰は「貧・病・争」と大きく関係しているのではないかと勘ぐりさえする。

第四章「日本国憲法はどこがいかがわしいか」
最後は日本国憲法の負の側面について迫っている。話題である「9条」もわずかに触れられているが、主に第1条の天皇象徴制について論じている。かつて大日本帝国憲法では最高権限は天皇にあった。戦後、東京裁判を経て、天皇は象徴として憲法に記された。これは東京裁判の所で詳しく述べていたが、当初GHQは天皇を退位させる事、もしくは裁判の被告にすることを目論んでいた。しかし、いつの頃かわからないが、実効支配を強めるために天皇を利用することを考え東京裁判では免訴しようと暗躍をしたのである。

今となっては社会を客観的に見る本は山積するほどある。しかし戦前まではこの「社会科学」は思想犯として「特高」に捕まる対象とされるほど危険な学問であった。65年前から続く平和だからでこそ、今まで見えてこなかった「社会」の在り方を様々な角度で考察をしたり、論じたりすることができる。そう今だからでこそ、「冒険」ができるのだ、と。