情報革命バブルの崩壊

情報革命はインターネットの隆盛とともに始まった。やがてWeb2.0が成長することによってインターネットはテレビや新聞などの既成メディアとは違い双方向のメディアが誕生することによって既存メディアを脅かす存在にまでなった。そのことによって新聞やテレビが無くなる時代がくるのではないかと言う意見も出てくるほどだった。しかしその反面「貧民の楽園」や「モラルがない」という意見もある。

本書は負の側面から情報革命の事を鑑みている一冊であるが、最後に昨今の状況も含めて情報革命の可能性についても触れてみることにする。

第一章「本当に、新聞はネットに読者を奪われたのか?」
「新聞離れ」という言葉が使われて久しい。新聞やTVも売り上げが右肩下がりとなり、ネットに跋扈されているのではないかと言う声もある。ネットによって読者に奪われたという意見もある。しかし新聞は本書が出されて1年半後にはiPadやiPhoneで見られるようになった。所謂「電子化」のサービスも行われるようになった。私も新聞は滅びることはないと考えてはいるものの、これまでのように紙媒体でずっと続くかというと首を傾げる。TVもまた然りである。続くが「変かを続けながら」というものが付け加えられる。

第二章「ネット空間はいつから貧民の楽園に成り下がってしまったのか」
ネットは単方向・双方向とともに様々な情報が流れ、「玉石混淆」という言葉が相応しいかもしれない。様々な情報を手に入れることができる反面、アダルトサイトや出会い系サイトに容易に入ることができるなど「ネット・リテラシー」が問われることもある。

第三章「情報革命バブルとマネーゲームの甘い関係」
ここでは2006年に起こった「ライブドア・ショック」の事について触れている。なぜ堀江貴文が逮捕されたのか、そして上場企業の欺瞞についても著者は指摘している。

第四章「ソフトバンクモバイル(SBM)で考える時価総額経営の終焉」
iPhoneを中心に急成長を遂げているソフトバンクモバイル。その一方で基地局不足によるユーザー不満も大きい。本章では急進しているソフトバンクモバイルの盲点と末路について指摘している。

第五章「「ネットの中立性」と「無料文化」の見直し」
ネットは中立的なのか、それとも偏向的なのかというと、双方で意見をすることができる、という点から「中立的」であるが、2chや掲示板などを見るに「空気」が支配されている考えからして「偏向的」な要素もはらんでいる。

ちょうど本書が出版されたのは「リーマン・ショック」が起こった時である。その時はWeb2.0時代の到来と言われ、YouTubeなどをはじめ双方向のメディアが注目を集め始めた。著者は「リーマン・ショック」によって元の秩序に戻ると考えていたのだが、それどころかさらなる形で進化をしている。
隆盛しているネットは現在、災害の中で互いに考え、一つになり、様々な意見を持ちながらも協力し合っている。それは日本のネットが日本古来から持っているものとが融合してこのような状態になったのではないかと考える。このことが一過性ではなく、様々な面で「助け合い」精神が増長できるようなものがあることを願うばかりである。