アイデンティティと暴力~運命は幻想である

本書の冒頭に「二一世紀は暴力に満ちている」とある。
強ち間違っていない。その背景として日本ではロシアが空爆機を日本一周して権力誇示させたり、中国や韓国では軍隊を用いて領土誇示をしている。

海外に目を向けてみると有名どころではイラク戦争もあれば、アメリカやイギリスで同時多発テロがあり、リビアやシリアでは軍による大量虐殺もある。欧米とイスラム国の対立も然り、である。

文明や宗教、さらには人種にまつわる衝突は後を絶たない。本書はそれらのアイデンティティによる対立と暴力への影響についての考察を行っている。

第1章「幻想と暴力」
「幻想」は本章ではどのことを言っているのかというと「宗教」や「文明」によって惑わされてきた「思想」そのものを指している。
その「幻想」によって戦争や紛争などの「暴力」が起こっているのだという。

第2章「アイデンティティを理解する」
「宗教」や「文明」などの要素によってそれぞれの国や民族の「アイデンティティ」が形成されている。その「アイデンティティ」を理解するためにはどうすれば良いのか。アイデンティティの背景を理解するところにあるのかもしれない。

第3章「文明による閉じ込め」
「文明」という言葉を「戦争」などの題材として扱われたものはアメリカでは2回ある。一つは本書でも取り上げた「9.11」、そしてもう一つは「東京裁判」にて「文明の裁き」と用いられたことにある。

第4章「宗教的帰属とイスラム教徒の歴史」
イラク戦争にしても「9.11」にしても、さらには2005年に起こったロンドン同時多発テロに関しても「イスラム」と「西洋」の対立が鮮明になっている。本章ではそのイスラム教とその教徒の歴史について迫るとともに、どうして対立が起こったのかを解き明かしている。

第5章「西洋と反西洋」
二項対立の様相を見せているが、本章ではその対立構造がなぜできたのか、について歴史的な観点から探っている。確か中世〜近世の時代、もっと言うと第二次世界大戦が終わるまでの時代は「欧米列強」の名の如く西洋が隆盛を極めていた時代であった。イスラム教の国々も王国をつくり、繁栄はしたものの、西洋との戦争も数多く、それによる対立が根深く残っているように思える。

第6章「文化と囚われ」
ここでは文化の固執と発展について日本・韓国・ガーナを中心に考察を行っている。

第7章「グローバル化と庶民の声」
近年ではビジネスでも政治でも「グローバル化」という言葉が言われはじめている。しかし本章では「反グローバル」の意見を取り入れながら「グローバル化」と庶民の在り方について考察を行っている。グローバル化は「善」か「悪」か、という考えを超越して、「グローバル」とは何かについて追っている。

第8章「多文化主義と自由」
「多文化主義」というとあまりピンと来ない方も多いことだろう。簡単に言うと様々な文化を取り入れる、ということを謳うための「政治的な発言」として取り上げられることが多い、と言う方が良いだろう。
しかし本当に「多文化」を取り入れられている国はあるのだろうか、と勘ぐってしまう。

第9章「考える自由」
「文化」や「思想」、「民族性」などあらゆる要素が醸成されて、考えの根本が形成されるわけだが、それが単純化してしまうことによって、わかり合えない民族や国とのいがみ合いとなり戦争などの「暴力」に発展する。それを食い止めるためには「考える自由」を持つことが大切であるという。

「運命は幻想である」という副題があったのだが、それはいったい何を指しているのか本書を見る限りは謎であったのだが、さっきも書いたのだが文明や歴史、さらには宗教といった要素が相まって「思想」やその根本が形成される。その思考がすべてとなって「暴力」になるという。けっして「運命」といった不確実な要素が入っている訳ではないので「幻想」と断じたと言えるのかもしれない。