学校と社会の現代史

「教育問題」が叫ばれるのは今も昔も変わらない。しかしこの「教育問題」も一括りに言ったもので、小中高校をはじめとした学校そのものの問題、あるいは教育指導要領をはじめとした教育内容にかかわる問題など様々である。

その「教育問題」は時代とともに変化をしていっている。本書は教育問題そのものを現在あるものだけではなく、戦中・戦後問わず教育の歴史を紐解くことによって教育問題解決への道筋を示している。

第一章「高度成長と教育拡大」
戦後から経済成長は続き、後に「高度経済成長」と呼ばれる長期的な好景気が日本の経済界で起こった。その経済成長とともに生活水準も上がり、やがて教育水準も上がっていった。戦前・戦中あたりは大学進学でさえも珍しかった時代であったため、受験戦争もだんだん過熱化していった。

第二章「大衆受験社会」
高度経済成長の時代前後には「良い大人になるには、良い高校に入り、一流の大学、そして一流の企業に就職をする」という固定観念が蔓延していた。
そのことによって「受験」そのものにスポットライトを浴びることとなり、毎年秋から冬にかけて「受験」や「入試」にまつわる記事が乱舞した。今や「大学全入時代」であるが、その熱は今でも続いている。

第三章「教育問題の変貌」
本書の核心の一つと言える。というのは、本書は教育の歴史、そして「教育問題の歴史」の考察も行っている。
本章では戦後初めての「教育調査」を行っている資料も存在しており、1952年がもっとも古いのだという。1952年だとGHQの統制から解放されて間もない年と言える。テーマは「戦中教育の反省点」だという。戦後教育の礎となったか、単なるサンプルとして扱われたか定かではないが、教育問題自体は戦後間もない時から始まっていたのは間違いない。

第四章「学校への疑惑」
戦前における学校は「希望の場」であった。しかし戦後になってから学校に対する「疑惑」が生じ始めた。戦後のタイミングでそういった「疑惑」が生じたと考えると、GHQの洗脳があったのではという疑念を生じてしまう。

第五章「葛藤の場としての学校」
社会には様々な「矛盾」を生じている。その「矛盾」との葛藤を戦いつつ最適解を見つけていくことで社会そのものを変化させる。
教育の場としての「葛藤」もまたある。本章では学校が「葛藤」の場であり、社会における「葛藤」を学べるところについて考察を行っている。

第六章「教育問題の考え方」
昨今起こっている教育問題の中から「いじめ」や「不登校」についてを、本章では数学的観点から考察している。

第七章「パブリック・スクールというノスタルジア」
簡単に言うと、日本では一般的である「公立学校(パブリック・スクール)」が世界的に誕生したあらましと行く末について追っている。

今も昔も「教育問題」は付きまとっている。しかし問題があるからでこそ教育そのものは暗くなるわけではなく、むしろ明るくすることができるのではないかと思ってしまう。教育問題は「教育」そのものがある限り永遠に解決はしない。しかしその「教育問題」を面と向き合い続けることにより教育は良くなるのではないだろうか。

コメント

  1. 奈良井 より:

    戦後、日本ではGHQによる自虐教育が行われてきました
    日教組を作ったのもGHQです
    世界で唯一、日本だけが建国の歴史を教えられていません
    自虐教育を行っている国も日本だけです
    すべてGHQのせいなのです

    ケント・ギルバートさんの「まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (PHP文庫)」という本をおすすめします
    ケント・ギルバートさんはYouTubeの虎ノ門ニュースにも出演しています

    • 蔵前 より:

      >奈良井さん

      コメントありがとうございます。
      また本のおすすめもありがとうございます。

      確かに今の日本教育はGHQによる影響が色濃く残っている状況です。

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