40年目の真実―日石・土田爆弾事件

日本には風化してしまい、真相ですら闇に葬られてしまった事件が数多くある。本書で紹介する「日石・土田爆弾事件」もその一つである。

「日石・土田爆弾事件」は1971年10月、及び12月に発生した事件であり、昨年ちょうど40年を迎えた。もっともこの時期は「学生運動」や「全共闘」などが活発に行われた時期であり、それに関連する事件も多発していた。「日石・土田爆弾事件」もその一つと言えるのかもしれない。

本書は闇に葬られてしまった「日石・土田爆弾事件」の全貌と起訴された被告がなぜ「無罪」と言い渡されたのかについて考察を行っているとともに40年たった現在の犯罪や検察、警察のあり方を照らし合わせている。

第Ⅰ部「日石・土田爆弾事件」
「日石・土田爆弾事件」とは何かについてあらましを取り上げている。
「日石・土田爆弾事件」は1971年10月18日に起こった「日石本館地下郵便局爆破事件」と同年12月18日に起こった「土田邸ピース缶爆弾事件」の2つを合わせたものである。しかし、ピース缶爆弾事件は、これらの事件以前にも1969年に「警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件」と「アメリカ文化センターピース缶爆弾事件」が起こっている。そのことから「土田・日石・ピース缶爆弾事件」と呼ばれることもある。
この事件について18人が逮捕されたが取り調べの中で拷問があった、もしくは事実無根なことから逮捕された18人は一貫・途中から問わず無罪を主張した。

第Ⅱ部「日石・土田冤罪事件」
結果的には起訴された18名は全員無罪判決となった。いわゆる「冤罪」となったのである。この事件につて警察や検察、裁判所やマスコミにまつわる責任を取り上げている。現在でも警察や検察の不祥事などが後を絶たないが、それは今も昔も同じことのように本章を読んで見えてしまう。

第Ⅲ部「40年の時を経て」
事件の真相を追う捜査員、元RG隊員の思い、時効制度、そしてこれからの司法や警察、ひいては検察のあり方について40年の時を経て出てきた真実を追っている。

戦後間もない時代「学生運動」や「全共闘」などの事件により経済成長とともに戦後最大の「激動」と呼ばれた事件が多数あった。「日石・土田爆弾事件」もその一つであるが、それについて私は本書と出会うまではいっさい知らなかった。数多く起こった「火炎ビン事件」については予備知識があったにも関わらず、である。40年の時を越えて事件を振り返りつつ、これからのあり方についてどうあるべきか、そして40年前の時代はどうであったか、それを考える岐路に立っている。本書はそのことを訴えかけているように思えてならない。