利他主義と宗教

先日「利他のすすめ」という本を読み、評した。
元々「利他」の精神は仏教からきているものであるが、企業にとって大事なことになりつつある。東日本大震災が起こってその精神はよりいっそう強いものとなった。
本来仏教にある「利他主義」だが、本書はその利他主義を宗教の側から考察をするとともに、宗教(団体)がこの状況の中でできることを見出している。

第一章「東日本大震災と宗教」
人間社会、いわゆる「俗世」から離れて生きている宗教者であるが、宗教団体の現状は人間社会と何ら変わらないという。もちろん東日本大震災でも例外ではない。震災後、宗教者や宗教学者らがネットワークや災害対策本部をつくり、被災者に様々な支援を行ったという。

第二章「宗教的利他主義・社会貢献の可能性」
「利他主義」は、ものすごく簡単にいうと「他者への「思いやり」」、英語にすると「アルトルイズム」という。最近叫ばれている主義であるが、学問的にこの言葉が使われだしたのは定かではない。
宗教における「利他」が問われだしたのは、日本で聖徳太子の時代にまで遡る。そもそも宗教は「貧・病・争」のどれかが起こるとすがる機関や場所と言われている。いわゆる「弱者」を救うために心を救うための役割がある。そのため宗教による社会貢献も行われることが多い。

第三章「宗教的利他主義の構造」
では少し難しいところに入る。「宗教的利他主義」とは何か。本章では数多くある宗教団体の社会貢献活動をケーススタディとして考察を行っている。

第四章「無自覚の宗教性」
日本人ほど「宗教」に関しての意識の薄い民族はいない。しかしそれは日本独自に育った神道が自らの生活と隣り合わせになっているが如く、わざわざ宗教そのものを意識していなくてもその宗教が生活と同期している、と私は考える。
本章では「利他主義」から少し離れて、日本人独特の「無宗教」についてを論じている。

第五章「宗教の社会貢献活動に関する文化・歴史的背景と法制度」
ここではイギリスやフランスなどの欧米各国の社会貢献活動について、宗教や文化・歴史背景とともに考察を行っている。キリスト教がほとんどでありながらも、文化や歴史によって社会貢献活動の在り方や形そのものが変わっているところが面白い。

第六章「グローバル化とシェアすることの意味」
グローバル化に伴い、「利他」という言葉をその行動を共有(シェア)する人や団体も出てきた。本書ではそのこと、及び意味について取り上げている。

元々は仏教からきた「利他」という言葉が「利他主義」として変容を遂げ、世界的にも叫ばれてきている。東日本大震災という未曾有の災害が起こった今、世界的にも「利他」という言葉が認知され始めている。そうした中で、日本は、宗教はどのような「利他」を描いていけばよいのか、それを本書は問うているのではないのだろうか。