私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日

千円札は拾うな。」「検索は、するな。」「ぐっとくる?」など数多くの著書を生み出してきた方であり、新卒採用コンサルティングとして一世を風靡したワイキューブの安田佳生氏であるが、昨年の3月30日に民事再生法の適用の申請を受け、社長の座から降りた。
その社長の座から降りて1年経とうとしたとき、改めて、著者自身の社長時代だけではなく生い立ちを見直し、「禊ぎ」として綴っている。

1章「満員電車からの脱出」
満員電車は私もネガティブな印象が持ってしまう。著者もまた高校時代に過酷な満員電車を体験し続けた。その中で著者は満員電車を嫌い、アメリカへ渡ったが、そこでもうまく行かず、わずか1年で日本に戻ってきた。

2章「営業カバンからの脱出」
日本に帰国して、大手人材会社に就職、そこで飛び込みなど様々な営業を経験したが、そこでも長続きせず会社を興した。しかし最初の頃は人材が長続きせず流動化していった。

3章「劣等感からの脱出」
設立時のワイキューブは新卒採用していない、会社の立地があまりよくない、という劣等感に苛まれていた。ある程度経営に軌道が乗り始めたとき、それらを同時に行い始めた。そして当時珍しかったデジタル媒体にも進出していった。

4章「アポ取りからの脱出」
アルバイトなどの人海戦略でもって、様々な企業とのアポイントメントをとって営業を行ったが、そこからシフトをし、DMによる集客も行い始めた、21世紀に入ってからは、経営的にも登り調子に鳴ったが、2000年代後半、それも踊り場に差し掛かっていった。

5章「資金繰りからの脱出」
踊り場に差し掛かったとき、経営や戦略的にも行き詰まりを見せ始めた。それを打破すべく、社内外で様々な戦略を打ち出してきたが、どれもヒットせず、ますます行き詰まり感が強くなっていった。

6章「引け目からの脱出」
アメリカではサブプライムローンの焦げ付き問題により、日本の好景気も踊り場に差し掛かった。ワイキューブもいよいよ右肩下がりの状態に差し掛かったとき、著者自ら銀行回り、さらにはリストラなどの「苦肉の策」を続けていった。右肩下がりの回廊は果てしなく続き、著者自身の気も滅入り始めたとき、経済を揺るがす大きな出来事が起こった。

7章「社長からの脱落」
「リーマン・ショック」
「とどめを刺された」という言葉がまさに似合うとおり、経営も急速に傾き始めた。その2年半後に民事再生法の申請、そして自らの自己破産、下り坂でずっと転がり、ようやく止まった先にはまさに「どん底」と呼ばれる世界が待っていた。しかしそのどん底の中で学んだことがある。そして著者は人生における答えを見つけるために、今日も歩み続けている。

本書の帯紙に

「私たちは本当に子どもだった。そして私利私欲の塊だった」

とある。自らの半生を象徴させているのだろうか、もしくはワイキューブの頃の自分を映しているのかどうかはわからない。ただこれだけはいえる。人は誰しもこの言葉を意識せずともそうさせてしまっていることはある。無論、私もそのような状態に陥ることは幾度となくある。
著者自らの「禊ぎ」を見ることによって、私はどのように行動していけばよいのかは分からない。ただこれだけは言える。「失敗から学ぶ糧は必ず存在する」ということである。自らが著者の「失敗」をどのように学ぶのか、その答えは、未だ見つかっていないが。

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