日本的ソーシャルメディアの未来

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日本的ソーシャルメディアの未来 (PCポケットカルチャー) 日本的ソーシャルメディアの未来 (PCポケットカルチャー)
濱野 智史 佐々木 博 ソーシャルメディア・セミナー

技術評論社  2011-02-04
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今やソーシャルメディアはTwitterやFacebookを中心に発展を遂げており、それによって災害や政治運動に使われることも少なくない。日本ではアメリカやヨーロッパといった国々ほどではないものの例外ではない。
本書ではソーシャルメディアの未来と日本の未来、そしてインターネットの未来を予見するとともに、ソーシャルメディアの光と影について二人の著者が対談形式にて迫っている。

第1章「コミュニティ(共同体)とソサエティ(社会)」
インターネットが隆盛したことによって、「コミュニティ」や「ソサエティ」の在り方が変化を遂げた。本章ではインターネットの定義と本章のタイトルにあるものの定義の変化を読み解いている。

第2章「インターネットを「時間」から考える」
インターネットはある種の共同体ではあるものの、「社会」なのか、という議論は絶えない。ソーシャルメディアが誕生し、成長してからはその議論は活発になる一方である。
本章ではTwitterなどの「選択同期」から「時間」を読み解いている。「選択同期」というと簡単に言うと、あることをすると、他の人が同じことをしていることを主張する、という連鎖を指す。

第3章「ソーシャルメディアと日本人」
日本人とソーシャルメディアは他国と比べて疎遠の存在の印象がある。しかしそうではなく、日本人そのものの価値観の違いを共有、あるいは共生することができることを再認識させられる。それだけではなく自らの「キャラ」、と言う名のアイデンティティなども取り上げている。

第4章「「ミクシィ疲れ」はなぜ起こる?」
その「キャラ」を作ることによって、自分を演じることに「疲れ」が生じてしまう側面もソーシャルメディアには存在する。本章では「ミクシィ疲れ」を例示しているが、「Twitter」や「Facebook」にも同じことが言える。

第5章「学校教育とソーシャルメディア」
社会学では「ムラ社会」と呼ばれる共同体がよく定義される。
「ムラ社会」とは簡単に言えば「集落における社会構造」を指し、外部とは乖離した空間で上下関係や価値観の統一などありとあらゆるところまで遵守する傾向にあり、異端なものは積極的に排除しようとする空間である。日本では「ムラ社会」といわれる構造が昔から主流であるせいか、「KY」という言葉も盛んに言われる。
学校教育における「クラス分け」もその一つとされている。またソーシャルメディアもまた然りであるが、形は異なる。本章ではそのことについて論じている。

第6章「質疑応答―50年後、どうしてる?」
今更気づくのは遅すぎるのだが、本書はソーシャルメディアセミナーでの対談を取り上げている。そのため、本章では対談後の質疑応答があり、その中でソーシャルメディアそのものよりも、皆の「50年後」の姿とソーシャルメディアの姿、50年後のあなたはソーシャルメディアを使っているのか、を観客とともに対談をしている。

日本におけるソーシャルメディアは他国のそれとは異なり、「共同体」という意識を再認識させられる一大メディアと呼ばれる。それだけではない。いざというときの「団結力」や「絆」の強さを東日本大震災にて知らされた。
ソーシャルメディアはすでに社会とは切っても切れないほどの存在であるが、それはまだ発展途上なのか、それとも成熟しきっているのか、それらも兼ねて未来は様々な可能性があると言える。

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