ドゥルーズ入門

ドゥルーズ(ジル・ドゥルーズ)は約17年前に亡くなられたフランスの哲学者であり、サルトルが生きた時代に影響をうけて、「差異」や「機械」などの概念をそのものを考察・定義していった。最晩年には肺病を患い、そのことにより世の中に対して絶望をおぼえ、自宅から投身自殺をした。

ドゥルーズの遺した哲学は現代思想においても大きな影響を及ぼしていたが、身体や領土などの形のあるもの、あるいは経験な内在するものなど形の見えないところまで哲学として定義した範囲は幅広い。
本書はめくるめくドゥルーズ哲学の世界を解き明かす入り口にあたる一冊である。

第一章「ドゥルーズの「哲学」とは何か」
ドゥルーズの哲学の範囲は幅広いが、その根幹をなすものはいったいどこに当たるのだろうか。本章ではその根幹として「内包」や「潜在」と形が見えず、かつ自分自身の内面に秘めているものの定義が中心である。ドゥルーズを語る上で、その根幹をなすためによく「ドゥルーズ=ガタリ」と呼ばれることが多い。「ガタリ」は精神分析家・思想家であるフェリックス・ガタリであり、「千のプラトー」や「哲学とは何か」など、ドゥルーズとの共著も多々ある。その二人の共通点としてある「事件」が取り上げられるが、それについては第五章にて詳しく述べる。

第二章「ドゥルーズと哲学史」
ドゥルーズがもっとも活躍したのは第二時世界大戦後、日本で言うと「60年安保」などの時代にあたる。生い立ちを見てみると年代的に先日亡くなられた吉本隆明と、年齢的にも大差ない。むしろその時代に生きた哲学や思想とはいったい何なのか、それを問い直す必要があることを考えると、ドゥルーズの哲学を見直すうえで格好のタイミングと言っても過言ではない。
最初にも言ったとおり、サルトルの時代に影響したと言われているが、ちょうどサルトルが生きた時代とほぼ同じ時代に生きていたこともあるのかもしれない。

第三章「「差異と反復」―ドゥルーズ・システム論」
ドゥルーズ単著で代表的なものの一つである「差異と反復」について取り上げている。1968年に発表されたのだが、その原型として博士論文で取り上げたものをさらに深堀して発表している。いわゆる「改訂版」と言えるものなのかもしれない。
その「差異と反復」はどのような本なのか、そしてそれによって現代哲学にどのような影響を及ぼしたのかを取り上げている。

第四章「「意味の論理学」―言葉と身体」
代表的な単著をもう一つ「意味の論理学」を取り上げている。こちらも同じように1969年に発表された論文であり、モノや言葉などの表層的なものの意味、そしてそこから構成させる論理を数多くの論考をもとに表している。

第五章「ドゥルーズ=ガタリの方へ―文学機械論」
第一章で言った「事件」について本章を取り上げる前に紹介する。いわゆる「ソーカル事件」と呼ばれるものがあり、ニューヨーク大学の物理学教授であるアラン・ソーカルが、1994年にフランスの現代思想をこぞって批判する論文を発表したことから哲学・物理学などの学問を越えた論争の引き金となった事件である。その批判対象にドゥルーズとガタリも含まれていたことにある。
本章の話に戻る。ドゥルーズとガタリの共著も第一章で紹介したとおり数多く取り上げられているが、その中で文学から表される「機械」(文学作品にでる機械そのものではない)についてを論じている。

戦後日本でも吉本隆明らによって思想が変容したことと同じように、フランスでもドゥルーズによって思想や哲学に変容をもたらした。しかし哲学を知っている人でもドゥルーズの哲学を知る人は少ないように思える。私でもドゥルーズを知ったのは本書に出会ってからである。だからでこそドゥルーズを知るための入り口として重要な位置付けとして本書があると言える。