ジャーナリズムの原理

ここ最近に限ったことではないが、「ジャーナリズム」が変容してきている。ジャーナリズムに関する本を頻繁に取り上げてきた3・4年前は重点的に取り上げてきた。そもそも「ジャーナリズム」という言葉は使われずとも、江戸時代の頃から「瓦版」などがその役目を担っていた。

現在となっては「新聞」や「雑誌」、「テレビ」と呼ばれる、いわゆる「メディア」がそれを担っているのだが、インターネットが広がりを見せることにより、既存のメディアは変容しつつある。

その時代だからでこそ「ジャーナリズム」そのものについて、現役の新聞記者やメディア論を専攻している学者らが考察を行っている。

第Ⅰ部「ジャーナリズム論の軌跡と射程」

「ジャーナリズム」というと、「政治」や「思想」といった難しいところ、もしくは「右」「左」や「~すべき」「~はだめだ」といった断定や提言をするなど、私たちの政治などの、見方によって「思想」を植え付けさせる、もしくは考えさせるような機関などを指す。

その「ジャーナリズム」という言葉を考察するに当たり戦前・戦後のそれとその展開の仕方などの批判にはいることも多く、それがジャーナリズムの変遷とともにかかれることも多い。

第Ⅱ部「ジャーナリズムと「主体」」

「ジャーナリズム」を成すためには様々な場所の取材と報道がメインとなる。その取材でもそれを重ねることによって論拠をつくり、かつそれにより思わぬソース(材料)を得ることによって、俗に言う週刊誌の「スッパ抜き」などもある。

また「ジャーナリズム」にしても、ありのまま取り上げる所もあれば、「私はあの権力を許さない」というような某大新聞のようなものもあれば、あるいは大将の首をとり、かつ社説で個人攻撃をするような無節操な新聞もある(どことは言わないが)。

これ以上言うと、本書の内容から「大きく」外れてしまうのでここまでにしておいて、本章では思想と報道をはき違えるジレンマ、あるいは記者クラブの存在により、似たり寄ったりのジャーナリズムになることがある。本書ではそのジャーナリズムの「プロフェッショナル」や「組織」、さらにそのものの「価値」についての考察を行っている。

第Ⅲ部「ジャーナリズムと「規範」」

最近では「コンプライアンス」や「CSR(企業の社会的責任)」が叫ばれてきているが、新聞社などメディア展開やジャーナリズムを中心としている会社の報道手法の変化、もしくは取材の変化について、さらには最近ではSNSなどのネット隆盛によるジャーナリズムの変化も論じている。

本書を読んでいくうちに「ジャーナリズム」そのものの変化は理解できる。しかし「ジャーナリズム」そのものはどのように誕生し、どのような原理・根幹を持っているのかが中々つかめなかった。ジャーナリズムそのものの定義ではなく、ジャーナリズムの「現状」の考察を行っている、と言える一冊であるところが少し心残りであった。