日本辺境論

文学者の内田樹氏は昨年の前半までは毎月のように著書を上梓するほど多作であり、「月刊・内田樹」と喩えられるほどであった。その中でもベストセラーの類のものもあるのだが、本書ほどヒットした作品はない。

では、本書にどのようなベストセラーとなるような「魅力」が存在するのか、もちょっと見てみようと思う。

「辺境人」という言葉は初めて聞くものの、日本はそもそもアメリカや欧州から見ても「極東」と呼ばれていることから「辺境人」と呼ばれても、不自然な表現ではない印象がある。
「日本人は辺境人である」という命題を前提に、本書は「日本人」そのものは誰なのか、どのような存在なのか、の考察を行っている。

Ⅰ.「日本人は辺境人である」
「辺境」という言葉の意味からまずは解き明かす必要がある。「辺境」そのものの意味では「中央から遠く離れた場所」を差しており、「僻地」や「辺鄙」という言葉と似ている。日本は西欧から見るとおそらく最も遠く離れた場所にあることを考えると「日本=辺境」という構図はだいたいあっているように見える。
本書では中華思想の中の「華夷秩序(かいちつじょ)」と呼ばれる所の縁に存在する国やもの、ことを表している。それを前提に明治維新からの時代変遷や日本国憲法などを考察している一方で「辺境」であることの良さも、本章で説いている。

Ⅱ.「辺境人の「学び」は効率がいい」
少し前に話題となった「日の丸・君が代問題」「武士道」や「修行・学び」についてを追っている。
本書のタイトルも「日本人」そのものの「学び」の特性を生かしていること、それが見えたからでこそ、この主張ができたのかもしれない。

Ⅲ.「「機」の思想」
「機」を使った熟語は数多く存在する。機会や危機、機械や好機などがある。
ちなみに本章で語られる「機」というのは、「仏教」や「禅」における思想の一つとして挙げられている。
「機」そのものの意味は「人の心における縁やはたらき」そのものを意味している。その「機」を修行することを「機根」と呼ばれており一般的に言われている「根性」という言葉もこの「機根」から生まれたのだという。

Ⅳ.「辺境人は日本語と共に」
本書を見ていくと「辺境=ガラパゴス」という構図が成り立っているように思えてならない。その辺境と呼ばれる「日本」では中国から伝来した「漢字」、欧米から伝来した英語から派生した「カタカナ語」、そして日本独特に生まれ育った「ひらがな」が合わさり「日本語」として醸成された。

「日本人は辺境人である」ことを前提とした上で本書は語られているが、日本語などの文化の醸成した経緯からみて、強ち間違いではない。そう思った一冊である。