遠くの都市

「遠くの都市」というと「郊外」や「街外れ」と連想してしまう。郊外というと都市とは違う「開放感」が込められているように思えるが、その実は逆で、「閉鎖的」であり、かつ「排外的」であるのだという。

本書はロサンゼルスの都市構造を中心に「都市」そのものの「閉鎖性」と「排外性」について論じている。

第1部「遠くの都市」
最初に書き忘れてしまったが、本書は「都市哲学」というジャンルである。
「哲学」というと「人間」や「思考」、さらには「社会」そのものについて取り上げることが多いのだが、「都市」そのものをフォーカスした本は見たことがない。
「都市」というと人も多く開放感があふれる。とりわけ本書の舞台であるアメリカ・ロサンゼルスはそれを彷彿とさせるが、「都市」でありながらかつてドイツ・ベルリンでは冷戦を象徴させる「ベルリンの壁」により閉塞感を海だし、東京やブラジル・サンパウロなど人口密度の過多による「窮屈」と、ベルリンとはまた違った「閉塞感」を醸している。

第2部「都市のゆくえ」
都市の中には建築デザイナーが描いたような奇抜な建物も存在する。閉塞感にまみれた中での「異質」という言葉を彷彿とさせる。
それはさておき、「都市」そのものはこれからどこへいくのだろうかをここでは述べているものの、都市構造ではなく、むしろ「都市」の中にある「コミュニティ」の回帰、もしくは復活をすることについて、現在のロサンゼルスにおける「コミュニティ」の現状とともに述べている。
「コミュニティ」というと「無縁社会」でいくらか取り上げているが、それに通ずるものがある。

「都市」は人口とともに、インフラも充実しており、比較的「自由」と言える空間にある。しかしそれは形式的なものであり、様々な意味で「不自由」や「閉塞感」をおぼえることさえある。その「閉塞」をいかに脱するか、それは「都市」であること特有のもので脱することができないのか、まだ議論の余地があるのかもしれない。