角界モラル考―戦前の大相撲は「おおらか」だった

近年は「モラル」や「八百長」などで騒がれている角界であり、かつ横綱白鵬が一強時代を築いたが、それが崩れ始めいよいよ戦国時代と呼ばれるようになり、だんだん面白くなってきたとも言える。

そもそも角界は「神聖」なものなのかと思ってしまうが、本書を読むと「高潔」かつ「神聖」な存在の相撲のイメージが崩れる。しかしなぜ「神聖」で「高潔」なものになっていったのかがよくわかる。

戦前、戦後間もない時、そして現在の相撲を鑑みてどのように変化をしていったのか本書はそれを表している。

Ⅰ.「感情表出パフォーマンスと礼儀」

かつて朝青龍が優勝を決めたとき、ガッツポーズを決め、角界の内外からやり玉に挙げられたことは記憶に新しい。もっとも相撲ではパフォーマンスは御法度なのかというと、戦前はそうではなかったという。たとえば、

・前述のガッツポーズ
(昭和57年の高見山、昭和59年の隆の里

・真っ赤な締め込み
(平成12年の朝乃若

・ヒョットコ踊り
(明治34年の遠岩)

・電気燈
(禿頭に電気燈を当てて光るようにしたことから。大正3年の話であるがどの力士がやったのか不明)

などが挙げられる。戦後を中心に挙げているが、ほかにも感情の噴出するシーンは戦前では当たり前のようにでており、新聞でも話題に挙げられていたという。

パフォーマンスはガッツポーズだけではない。たとえば高見盛の立ち会いに向かう際の仕草や一昔では水戸泉の塩撒きにしてもある種の「個性」をアピールしていた。アピールや感情噴出を是としない昨今の「角界の理想」とされてきたが、アピールや感情噴出、愛嬌といった一種の「人間味」を出すことも相撲としての良さの一つだった。

Ⅱ.「物言い~情実裁定と曖昧な決着」

昔と今とで大きな違いがあるものとして、一つに本章で紹介する「物言い」がある。
今となってはそれ自体一場所に1回あるだけでも珍しいもののようだが、かつては何度も物言いがつけられ、審判方の審議が1時間以上にまで及んだことさえあった。しかも近代スポーツにあるような写真やビデオが無かったことから、「情実裁定」といった審判によって左右されてしまい、きわめて曖昧な判定になり、「預かり試合」「引き分け試合」になることをも少なくなかった。

Ⅲ.「大相撲はスポーツにあらず~取組(競技)におけるモラル」

立ち合いの時間、さらにそれまでの時間が厳しく制限されたのは昭和初期の頃であり、それまでは目立った取り決めが無く、罰則も当然存在しなかった。

さらに最初に書いたように近年話題にあがり、それにより引退を迫られた力士も数多くいた「八百長」に関しても、明治~昭和初期にかけては「誰もが認めていた」ものであった。新聞でもそれにより話題となり、現在のようにヒステリックに批判した記事も存在した。力士も認めた発言をしたがそれにより引責引退をした力士はほとんどいなかった(「降格処分」を受けた力士は多数いたが)。ましてや横綱が八百長を肯定する発言も目立ったほどである。

Ⅳ.「力士の芸人性~緩やかな就業倫理と生活倫理」

最近では横綱でも休場するとなると「引退するのでは」という話が出てくる。事実それによる横綱審議委員会からの「引退勧告」も出ることもざらにあるのだという。

しかし歴代横綱の中には第18代横綱の大砲といった休場数が勝ち星数を上回る力士も存在した。怪我による休場もあれば、「雨だから」「雪だから」「気が乗らないから」という私情により勝手に休場する力士もいた。(今とご時世では、それだけで解雇になってもおかしくないが)

ほかにも現在ではあるまじきことであるが「飲酒」をして勢いをつけて土俵に上がる力士も少なくなかった。明治の「角聖」と呼ばれた第19代横綱の常陸山も明治35年春場所に梅ヶ谷との立ち合いの前に飲酒をして敗れたということもあった。もっと言うと常陸山には寄席の女帝として知られた立花家橋之助と愛人関係にあり、ともに巡業先まで連れ立ったというエピソードも存在する。

Ⅴ.「祝祭空間としての国技館」

国技館は現在で言うと両国にある「両国国技館」、戦後間もないときには蔵前にあったため「蔵前国技館」と名付けられた。相撲のみならず、プロレスの試合でもよく使われており、「格闘技の聖地」「相撲の聖地」として名高い。

しかし「国技館」と銘打たれた場所は明治時代からも存在した。1909年から1982年まで存在しており、ちょうど原罪の両国国技館に当たる場所に建てられており、名前も「(旧)両国国技館」だった。

その「国技館」は飲酒や物投げ(座布団のみならず、いろいろな物が投げられた)、喧嘩、野次が頻繁に起こった。しかし明治時代から続く天覧試合にはそのようなことは無く、むしろ畏敬の念を保ちながらの試合を行ったという。

Ⅵ.「厳粛化される大相撲~天皇制ファシズムの中で」

現在のような「神聖化」になるきっかけについて本章では述べている。史料としているのが昭和10~20年が中心であり、翼賛精神により、「大相撲は神聖なもの」として認識させられ、モラルも厳格なものとなっていったという。

本書を読んでいるとき、大阪市長の橋下徹氏が文楽を鑑賞し、文楽について批判をしながら、新たなことを提案した。それに対し文楽の重鎮がそれについて困惑するというニュースを見た。「保守」と「革新」は国家や政治のみならず、文化・芸術にも往々にしてある。

角界にもそういった「革新」の波は出てきて、その波をくい止めることは誰にもできないだろう。

さらに本書を読んでふと疑問に思ったことがある。「相撲は「神事」」と言われるが、なぜ「神事」と呼ぶように、「宗教」という形で帰依されたのだろうか。温故知新であるとするならば明治・大正時代はおおらかで愛嬌があったことも目を背けるのだろうか。

そして「相撲」とはいったいどのような存在なのだろうか、その疑念がますます深まった一冊であった。