宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続―

宗教と旅行というと連想するのが「聖地巡礼」である。「聖地巡礼」とは宗教、またはその国の伝統や世界遺産など、象徴する場所へ行き、その場所で拝む、つまり巡礼を行うというものである。しかしその「聖地巡礼」の定義も時代とともに変わりつつあり、近年ではドラマやアニメの舞台に行き、その舞台を楽しむという定義にもできる。

本書ではこの「宗教ツーリズム」や「聖地巡礼」といったものを「宗教」「ツーリズム」「聖地」「巡礼」など、それぞれの言葉の根本から考察を行っている。

第一部「聖地とツーリズム」
ここでの中心は神社詣りや熊野古道の巡礼、さらには少し前に書評をした「四国遍路(お遍路)」などが挙げられる。どちらかというと宗教や伝統の舞台を旅するところを鉄道や道などを元に考察を行っている。「道」といえば、伊勢神宮は元々「国道一号線」の終点であった。

第二部「巡礼とツーリズム」
「巡礼」とはいっても宗教や伝統を目的とした「聖地」に行くばかりではない。信仰心が無くても自分にとって「聖なるところ」であれば「聖地巡礼」と言える。ちなみに最初に行ったドラマやアニメとしての「聖地巡礼」について本章で言及している。とりわけアニメの「萌えおこし」が最近TVにて話題となっている。

第三部「世界遺産とツーリズム」
日本では世界遺産を巡る旅がよく扱われている。TBS系列やNHKでも「世界遺産」の旅がくまれているほどである。その「世界遺産」は宗教や歴史を象徴するもの、あるいは戦争や差別の象徴としての「負」の側面を持ったものまで含まれる。中学や高校の修学旅行で「広島」「長崎」を行くところも多いが、平和の尊さ、戦争の悲惨さを知るためにその「負」の遺産が扱われることが多い。

旅行にしろ、巡礼にしろ旅は色々な「学び」や「楽しさ」がある。「聖地巡礼」もまたその一つであるが、「非日常」的な空間であることへの刺激があると言える。「ツーリズム」や「旅行」の魅力、そして「聖地巡礼」の尊さを知るとともに、いつまでも変わることがないということを、本書ではそう語っているのではないだろうか。