日本の自殺

日本では毎年3万人以上が自殺をしている。その多くは老後を迎えようとしている世代であるが、最近では今の社会に絶望し、自殺を遂げる若者も増えている事実がある。
その「自殺」には今も昔も社会・文化に宛てられた「メッセージ」を表している。
本書は1975年に文藝春秋において発表された「日本の自殺」を取り上げているのだが、ちょうど経済成長の踊り場を迎えたことから共通点があるのかもしれない。

第一章「衰退のムード」
本章では自殺の引き金となった例として「ローマ没落」を取り上げているが、「市民を裁判官に」「エゴの氾濫」といった題目と内容をみると、どうにも日本と似通っているように見えてならない。

第二章「巨大化した世界国家”日本”」
1975年といえば「オイルショック」などにより高度経済成長が終わり、おそらく戦後初めてマイナス成長を見せた時期と言える。それまでの経済成長の中で「巨大化」により、取り残される人々もでてきた。それが不平等の元ともなり、後の「格差」という言葉が形成されるきっかけとなった。

第三章「カタストロフの可能性」
「カタストロフ」とは何か。調べてみると、

「環境に多大な変化が訪れること。変化に追従できないものは絶滅への道をたどる。」wikipediaより抜粋)

とある。洪水神話は無いものの、子殺しや「最終戦争」にも思わせる様な殺傷事件がメディアでも度々報道されるようになった。

第四章「豊かさの代償」
急速な経済成長により、モノの豊かさは担保されるものの、それが文明にとって「没落」の根本原因となる。
この「没落」のきっかけとなるのが諸外国による「外的」なものではなく、国内の「使い捨て」や「無気力」「無無感動」「無責任」から表れる自壊によって招くのだという。

第五章「幼稚化と野蛮化のメカニズム」
国民の精神の幼稚・野蛮化のメカニズムについてローマ帝国のみならず、イタリアのファシズム、旧ソ連のスターリニズムについて取り上げられている。さらに要因の一つとして「情報汚染」が挙げられている。

第六章「情報汚染の拡大」
本書の初出は最初にも書いたように1975年であるが、どうにも本章ほど現在の状況にぴったりと言えるような章は無い。
まさに「濁流」と呼ばれる情報の氾濫がおこり、玉石混淆と呼ばれる情報に振り回されるという現象、俗に言う「情報汚染」が起こっているとも言える。

第七章「自殺のイデオロギー」
自殺のイデオロギーとして「疑似民主主義」が取り上げられている。そのメカニズムとして「大衆迎合主義」や「人気取り」「提案能力の欠如」といった要因があり、それもまた現在の日本にも合っている。

論文が発表されて37年経った今でも色褪せない、むしろそれ以上に現在のことを的確に捉えているようでいてならない。高度経済成長が踊り場にさしかかった状態でこのような状況であることを考えると「歴史は繰り返される」という命題もあながち間違いではない。私たちはそれに気付くことが先決であり、かつその教訓を生かすことが重要な課題と言える。本書はそれを気付かせる一冊と言える。

コメント

タイトルとURLをコピーしました