今、原子力研究者・技術者ができること

2011年3月11日に起こった東日本大震災を引き金とした「福島第一原発事故」により、日本、ひいては世界中で「脱原発」の気運が高まった。12月に行われる衆院選でも各政党のマニフェストは異口同音ながらも「脱原発」を掲げている。

わたしもゆくゆくは「脱原発」はした方がよい考えであるが、それ以前に「原発」とは何か、そのために原子力研究はどうするべきかを考える必要があるのではないかと考える。毒をもって毒を制すが如く、原子力を脱するためには原子力の技術の進化も重要な要素である。

「脱原発」「原発は「悪」」という風潮により迫害されつつある「原子力研究者」や「原子力技術者」のできることはいったい何なのか、本書では福島第一原発事故の原因、原子力発電双方の観点から迫っていく。

1編「福島第一原発事故はこのように起こった」
そもそも福島第一原発は「東電の怠慢」という一言で終わってしまえばそれまでであるが、それでは短絡的すぎる。もっともどのようなプロセスで「メルトダウン(炉心溶融)」が起こったのか、どのようなプロセスで水素爆発が起こったのか、そしてその原発で応急策はどのように行われたのかを物理学の観点も含めて記している。

2編「原子力発電とは何か?」
本章は原子力について前知識のない方々にとって重要な章と言える。その中でも「原子力工学」の分野について分かりやすく教えている。
もっとも日本人は「原子力」に対しての恐ろしさを世界一知っている民族である。それは現在もそうであるが、過去の歴史が物語っているからである。
原子力の歴史については以前「象の背中で焚火をすれば」と言う本で取り上げてきたのだが、本章では「水型炉」など具体的な原子力の仕組みも紹介している。

3編「福島第一原発事故はどう評価するべきなのか」
この福島第一原発の事故についてメディアや多くの本では総論的な評価をする事が多いのだが、本章では地震発生からメルトダウン、それからしばらくするまでの応急措置に至るまでの対応それぞれを評価する、言わば「各論的」な評価を行っているところが本章、もとい本書の特徴にある。

4編「原子力発電所の安全性と再起動」
3編で行った各論的な評価をもとに安全性はどうなのか、そして再起動はどうするべきかについて考察を行っている。機能の見直しや強化、ストレステスト、自然災害への対策についてを提言している。

本書のタイトルでは「技術者」や「研究者」に対してできることは何かを分析し、提言する必要がある使命を持っている印象を受けるのだが、そのタイトルにちなんだ提言を行ったのは4編の最後のみだった。あとは事故の分析にページ数が割かれている印象が強く、タイトルと違うのではないか、という評価もできるかもしれない。しかし本当の意味で事故の原因となり、これから必要なことは最後に凝縮されている、とも言える。