1968年―― 反乱のグローバリズム


「1968年」
この年は世界中で「激動」と呼ばれる年であり、先進国では「冷戦」の絶頂期といえる年であった。その年は世界中でいろいろな革命や運動が起こり、それぞれで混乱に陥れられた時代と言える。
日本では「大学紛争」や「全共闘運動」を発端とした抗議運動や紛争が起こり、新左翼による事件もいくつか起こった。こちらについては昨年夏に取り上げたシリーズ「1968年を知らない人の『1968』が詳しい。
本書はその番外編としてアメリカをはじめ、ヨーロッパ諸国の革命や抗議運動についてを追っている。

1章「はじめにはアメリカがあった」
本章は以前に「アメリカ 1968 – 混乱・変革・分裂」でも取り上げたので割愛するのだが、アメリカと日本と同様に起こった「ベトナム戦争」への抗議デモ、さらには人種差別の撤廃を訴える「公民権運動」などが取り上げられている。

2章「ドイツ固有の道?」
冷戦時代のドイツはそれを象徴する場所として知られていた。簡単に言えば「ベルリンの壁」を境にドイツが東西に分かれ、東側はソ連の、西側は欧米諸国の影響を受けていた。「ベトナム戦争」や「プラハの春」など冷戦の核心として抗議運動や革命運動なども東西ドイツ関係なく盛んに起こった。
しかし事情が違ったのが「東西ドイツ統一」は一つも言われず、むしろそれぞれのドイツの道、本章のタイトルにある「ドイツ固有」の「1968」が存在した。

3章「西側世界での抗議運動」
「西側」は簡単に言うと欧米諸国と、本章ではそれに加えて日本の抗議運動も取り上げている。日本は夏頃に取り上げた本で紹介したので割愛するが、ここではイタリアやオランダ、イギリスの抗議運動についてを取り上げている。イタリアでは俗に「熱い秋」と呼ばれるテロ闘争が中心となり、オランダでは「白い自転車計画」「白いニワトリ計画」など「白い~運動」が中心である。

4章「東欧での運動」
世界における「1968」の象徴と言えるのがチェコスロバキアで起こった「プラハの春」である。社会主義・共産主義の圧政に晒された国民が民主主義を訴えたが、無惨にもソ連軍の弾圧に屈してしまった。この惨状は様々な作品に描かれている。そのほかにもポーランドの反ユダヤ主義運動を本章では取り上げている。

5章「なんだったのか、なにが残ったのか」
世界的に「1968年」とはいったい何だったのだろうか。著者は「創作」と評している。様々な現状に反旗を翻し、抗議運動によって革命を起こし、成し遂げられなかったという「悲劇」を作っていることを指している。

「1968年」は激動の年ではあったが、そのことによって政治や国家など世界におけるバランスは変わらなかった。それはアメリカにしても、チェコスロバキアにしても、日本にしても、東西ドイツにしても同じ事が言える。とはいえ冷戦が変化する大きなきっかけになったことは間違いない。「1968年」がもたらした影響はそのことにあるのではないだろうか。

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