1968―世界が揺れた年

「1968」
その年は世界的にも激動の年であった。これまで当ブログでは日本、アメリカ、そしてヨーロッパ各国について取り上げたが、本書はその総集編というべきところで1968年が始まったときから「プラハの春」、メキシコオリンピックが開催された「夏」から、アメリカ大統領選挙が行われた「秋」と時間を追って取り上げている。

<前編>
第一部「われらが不満の冬」
「革命前夜」という言葉がある。ここから来るであろう「革命運動」や事件、など歴史的な「うねり」をもっている。革命運動が起こる以前、各国は以下のような状況にあった。

[アメリカ]
度重なる人種差別、とりわけ黒人への差別は右派を中心に深刻化していった。「ブラック」や「ニグロ」をいう言葉が一般にも浸透し、黒人と白人の対立が「血で血を洗う」とまではいかなくても、それに近いような対立があった。
また、ベトナム戦争も泥沼化し、アメリカによる軍事介入に対する疑問や不満も募っていった。

[チェコスロバキア]
ソ連の圧政下にあり、独裁者スターリンが亡くなっても、同様の状況が続いた。

[ソ連]
ソ連内でも集団農業が崩壊し、いくつかの民族が「民族運動」を起こしてはソ連軍による弾圧が繰り返された。

[日本]
「1968」でも取り上げたのだが、大学における急速な授業料の値上げが起こった。しかも大学生に対する需要の増加に追いつけず、満足に勉強できるような講義を受けることができなかった。
政治でも岸政権からきた「60年安保」による、アメリカ優位の不平等条約を結んでしまい、政治不信が急速に広がった。

[アフリカ]
アメリカと同じく人種差別が深刻化していった。それも「アパルトヘイト政策」が掲げられたように国家主導で行われていた。

世界中で様々な「憤懣」が募り、そしてそれが「プラハの春」となって爆発し始めた。

第二部「プラハの春」
俗に言う「プラハの春」が起こり始めたのは年が始まって間もないときであった。ノボトニーが第一書記を解任され、後任にドプチェクが選ばれたことから始まる。
ノボトニーは長らくソ連に追従する路線に走った政治家であったが、年明けから民主化を進めるといった融和路線に転向した。しかしそれも報われることなく、3月に大統領も辞任した。ちょうど春先にあったことから「プラハの春」と名付けられ、ソ連の圧政から解放され自由を得る光明が見えてきた。しかし、そこでソ連の介入(というよりも不法侵入)により、改革の針は思うように進まなくなった。
一方ではアメリカや日本の大学生がベトナム反戦や大学に対する不満に対するデモが起こっていた。日本では大学講堂を占拠する事件も起こった。またアメリカでは「公民権運動」を発端とした黒人と白人との対立が激化していった。

<後編>
第三部「オリンピックの夏」
1968年はメキシコシティーで夏季オリンピックが行われた年であるが、そこでも男子200M走の表彰式で「ブラック・パワー・サリュート」が起こった。そのオリンピック会場となったメキシコでも同様に1968年の渦に巻き込まれていた。実質的に制度的革命党(PRI)の一党独裁政権にあった中で急激な経済成長を見せた。その一方で現在の日本にある「格差社会」がここでも起こり、PRIの独裁からの脱却を求める学生団体がデモ行進などの抵抗運動を起こしていた。
「オリンピック」でいうと、もう一つある。2月に行われたフランス・グルノーブルの冬季オリンピックである。底ではチェコスロバキアのアイスホッケーチームがソ連のチームに僅差で勝ったことで、街頭へ勝利を祝いに繰り出すほどチェコスロバキア国民が熱狂したという。「プラハの春」は政治的な要因が引き金になったのだが、このオリンピックも遠因として挙げられるのかもしれない。

第四部「アメリカ、選択の秋」
1968年秋、アメリカでは大統領選挙があった。公民権運動の主導者の一人だったキング牧師が暗殺され、民主党のカリスマとして名を馳せたJFKことジョン・F・ケネディも暗殺され、ベトナム戦争が泥沼化し、政治不信も募っていった。その中で大統領選に勝利し、新たに大統領に就任したのは、ロバート・ニクソンである。しかしそのニクソンに対する不信も少なくなく、就任式にデモを呼びかける運動も所々で起こった。
1968年の終わる12月21日にはアポロ8号が打ち上げられ、人類でもっとも月上に近づいたことで話題となり、後のアポロ11号の月面着陸のきっかけにもつながることとなった。戦争をのぞいて「激動」という言葉が最もふさわしい年、「1968」はそうして終わりを告げた。

「44年目の輪廻」

これは小熊英二著の「1968」を取り上げた時に書いた言葉である。1968年から43年後の2011年も形は違えど「激動」と呼ばれる時代だった。中東諸国を発端とした革命運動、俗に言う「アラブの春」があった。アメリカでも経済的な衰退が著しくなり、オバマ政権に対する不信も募っていった。日本では東日本大震災を発端とした原発事故により、反原発運動が急速に高まっていった。それはあたかも「激動」と呼ばれた「1968」に似ている気がしてならない。そう感じたからでこそ、この「1968」の歴史を見つめ、教訓を得るために本書、そしてその歴史を顧みる必要がある。