私はコーヒーで世界を変えることにした。

ポプラ社様より献本御礼。
コーヒーに惚れ、ひたすらコーヒーを愛し、最高のコーヒーを求め続け、コーヒーで世界を変えるビジネスを行う。しかも著者の肩書きは「コーヒーハンター」である。
これほどまで「コーヒー」に恵まれ追求した方は誰一人見たことがないと言える。コーヒーへのこだわりは、やがて仕事へのこだわりとなり、それが本書にして結晶化された。その著者のコーヒーに書けた半生を見てみよう。

第一章「コーヒー屋になるのが子どものころからの夢だった」
子供の頃からコーヒーに囲まれた生活だった。父はコーヒー焙煎の卸売業をやっていたためである。小さい頃から、そのコーヒーの詰まった倉庫にいることだったという。
その経験から、小学校から一貫して将来の夢はコーヒーに関わる仕事を志した。

第二章「十八歳で、単身エルサルバドルのコーヒー研究所へ」
高校卒業後、大学進学のため、エルサルバドルの大学に留学した。それまでのプロセスも見応えがあったのだが、それ以上に当時のエルサルバドルの現状を生々しく描かれているところは、文章から見てもいま日本が恵まれている、ということを思い知らされる。
そのエルサルバドルで、大学に通ったがすぐに休学し、コーヒーの研究に勤しんだ。しかし著者の人で大きく揺るがしたことが起こった。「グアテマラ大地震」である。

第三章「ジャマイカのコーヒー農園開拓を託されて」
グアテマラ大地震エルサルバドル内戦により、ロサンゼルスへ疎開というすさまじい出来事に遭遇し、上島珈琲の創業者からのスカウトにより、ジャマイカのコーヒー農園の開拓を任されるようになった。コーヒー農園の開拓は順風満帆ではなく、山火事や強盗などにも遭遇した。それでも創業者のカミナリと激励により、軌道に乗っていった。

第四章「次の舞台は、ハワイの溶岩台地」
次に開拓を任された土地はハワイである。ハワイでもジャマイカと同等、いやそれ以上の困難が待ち構えていた。
その農園開発の半ば、著者をスカウトした創業者が帰らぬ人となった、その創業者との思い出話も本章では綴られている。

第五章「東南アジア、アフリカ……コーヒーの世界は果てしなく」
コーヒー農園の開拓は続き、東南アジアやアフリカといった国々を開拓していった。その国々でも災難はあったのだが、その度に著者自身の経験や処世術に広がりを持たせた。
著者が「コーヒーハンター」と呼ばれるようになり、幻のコーヒー豆に関わった。

第六章「コーヒーで世界を変えていく」
役目を果たした著者は上島珈琲を退職し、「サスティナブル(持続可能な)・コーヒー」を伝える活動を始め、「コーヒーハンター」として世界中を飛び回った。コーヒーにおける「生産国」と「消費国」の架け橋になるために。

第七章「世界最高のコーヒーが、ついに空を飛んだ」
美味しいコーヒーを空の旅とともに。
とある航空会社のコーヒーサービスにまつわるエピソードについて取り上げている。コーヒーを良くしたい人の熱意に押されてのことだった。
その挑戦後もコーヒーのための挑戦は続き、現在に至る。

よくその道を脇目も降らず、極め続ける人のことを、悪い言い方かもしれないが「~バカ」という。ただ、その「バカ」という言葉は蔑んでいるわけでもなく、その道を極め続けるという、むしろ「良い」意味で使われる。
著者はまさにコーヒーのために生まれ、コーヒーにいきる、いわゆる「コーヒーバカ」と言える存在である。言うまでもなく「良い意味」でのことである。

一つのことに脇目も降らず、それでいながら本当の意味で様々な災厄にもめげず前へ進む姿は、読者の我々にも、言わずとも伝わる一冊である。

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