いのちのレシピ―死の淵から生還した奇跡の“食”ヒストリー

人間のみならず、動物に欠かせないものとして「食」が挙げられる。その「食」は食物、あるいは食べ方によっては薬にもなり、毒にもなる。

本書は中でも死の淵に陥った時に救ったレシピを紹介し、かつ玄米菜食のレストラン「ローゼンケラー」や「マキシム・ド・パリ」などのレストランやクラブのエピソードを交えて綴っている。

第1章「レストラン・クラブとの邂逅」
著者は大阪・北新地に「ラモール」というクラブを建てた。1955年の話である。その後に東京・銀座でも同様のクラブを開いたのだが、その両方では多くの作家・芸能人などの著名人が常連となった。

第2章「グルメ時代がやってきた」
物が裕福になるにつれて「グルメ」と呼ばれる時代がやってきた。その「グルメ」の潮流に漏れず、著者もグルメを中心としたレストランを運営し始めた。最初に書いた「マキシム・ド・パリ」の経営を始めたのも、この時期である。

第3章「オーガニックレストラン」
美食追求は続く一方で、それが要因となり、重度の「肝臓病」を患った。今は治療法が確立されているが当時は70年代。肝臓病は治らない病気の一つとして挙げられた。40歳になったときだった。
しかしそのような状況から救ったのが「玄米菜食」だった。当時はあまり認知されていなかったこともあり、「オーガニックレストラン」を開き、「健康志向」のレストランの草分け的存在となった。

第4章「花田美奈子直伝”いのちのレシピ”」
著者が死の淵から救った「玄米菜食」。健康のために、いざ始めようとしてもどのようなレシピがあり、どのように作ればよいのかわからない。
そのため、本章では玄米菜食初心者のためのレシピをいくつか紹介している。

「飽食」と呼ばれる時代である。激動の昭和から数多くのレストランを経営し、そして健康のために「玄米菜食」のレストランを開き、様々な角度から「食」を見出し、展開していった。そして著者の「食」への挑戦は御年84歳となった今も続く。