私の「歌舞伎座」ものがたり


これまでずっと立替工事を行ってきた歌舞伎座だったが、今年の4月1日に五代目歌舞伎座がオープンし、連日「こけら落とし」公演が行われている。
2009年1月に行われた「(四代目)歌舞伎座さよなら公演」からはや4年3ヵ月。歌舞伎ファンはずっと新たな歌舞伎座として待ちわびてきたことだろう。

その歌舞伎界であるが、今年になって十八代目中村勘三郎十二代目市川團十郎と重鎮が相次いで逝去した。江戸歌舞伎として牽引してきた方々の逝去は大きな損失となったが、五代目中村勘九郎や十一代目市川海老蔵ら若手、さらに九代目松本幸四郎二代目中村吉右衛門などの残された重鎮の活躍も期待される。
歌舞伎のメッカと言われている歌舞伎座であるが、四代目の歌舞伎座は戦後復興の証として60年もの間親しまれてきた。本書は著者自ら見聞きした四代目歌舞伎座の60年間のことを綴っている。

<Ⅰ>
四代目歌舞伎座がこけら落としされたのは1951年のことである。戦後間もない中で物資が窮乏しており、生きる勇気も失っていたときのことである。
その時に活躍したのは現在の市川海老蔵の祖父であり、「花の海老様」と呼ばれていた九代目市川海老蔵(後の十一代目市川團十郎)初代中村吉右衛門がいる。とりわけ九代目海老蔵は源氏物語の公演が大いに反響を受け、若い女性を中心に人気を呼んだ。

<Ⅱ>
戦後から高度経済成長、さらにバブル崩壊と経済が栄枯盛衰を重ねる中、歌舞伎界も同じように「変化」をしていった。現在重鎮である前述の九代目幸四郎も十二代目團十郎も、十八代目勘三郎も若手から中堅になった時期であり、彼らの父親も第一線で活躍した時だった。
本章ではその思い出を綴っている。

<Ⅲ>
平成になって大きな襲名で言うと、上方で三代目中村雁治郎が231年ぶりに和事の名手であり、上方の大名跡である四代目坂田藤十郎の襲名である。その襲名話を含め、現在している平成の歌舞伎について綴っている。

歌舞伎のメッカとして今日でも称えられる歌舞伎座、五代目歌舞伎座に生まれ変わって間もないのだが、これから数年、数十年と生き続ける五代目歌舞伎座はどのような姿と歌舞伎とその歴史を見せてくれるのか、楽しみである。

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