核の難民―ビキニ水爆実験 「除染」後の現実


先々月から北朝鮮のミサイル発射に関するニュースが毎日のように流れた。発射されるだろうという報道もあったが、いっこうに発射されない状態にあったことを覚えている。この1ヵ月後の5月半ばに発射された。
ミサイルに関連すると北朝鮮には核爆弾も保有しており、その関係で核戦争になる危険性も捨てきれない。
本書はその「核爆弾」に関する一冊であるが、1954年に起こったビキニ環礁における水爆実験の傷跡を取り上げ、核爆弾、放射能の恐ろしさを示している。

第一章「除染が終わっても「帰れない」」
「ビキニ環礁の水爆実験」というと、日本の漁船「第五福竜丸」をイメージしてしまう。その「第五福竜丸」は「死の灰」に巻き込まれ、被曝(ひばく)した。
しかし、「死の灰」に巻き込まれたのはそれだけではない。ビキニ環礁から東へ役200キロ離れたロンゲラップ島では全島が死の灰に巻き込まれ、ほとんどの民が被曝した。

第二章「あの日、子どもたちは「死の灰」をなめた」
この核実験が始まったときは、ちょうど「冷戦」が始まったときである。そこでは核保有であることによって緊張状態、あるいは優位状態を作っていた。「核戦争」寸前とも言われる状態にあった。ロンゲラップ島全土で「死の灰」を浴びたことにより、そこで収穫できる農産物にも「死の灰」が付着し、それが住民たちが食べることにより「二次被曝」となる。

第三章「偽りの「安全宣言」」
核実験を行ったアメリカでも1958年に、科学者の間で「死の灰論争」が起こった。被曝した地域では植物が育たなくなった。にもかかわらずアメリカ植物が育たなくなる理由を別なものにすり替え「安全宣言」を出した。

第四章「「被曝リスク」は隠蔽された」
冷戦の中でもっとも「核戦争」に近づいた時期はいくつか存在するのだが、その一つとして1962年の「キューバ危機」である。その時期に「死の灰」に巻き込まれた人々が続々な「内部被曝」とも入れるような症状の病を発祥した人々が出てきた。そのような状況でもアメリカは無視し続けた。

第五章「「故郷の記憶」が消えてゆく」
ロンゲラップ島は変わり果てた。「死の灰」をかぶり、放射能が残り、草木すら生えない。そこにすんでいた民は今でも原爆に悩まされて続けている。しかしアメリカはそのことですら反省どころか、悪びれもしない発言を続けた。

第六章「「帰るか」「残るか」迫られる決断」
ロンゲラップ島にすんでいた人々は被爆直後からアメリカ大陸に避難した。アメリカから配給された援助用の食品などで糖尿病を患う人もいるという。
「二重の地獄」と呼ばれる状況の中で戻るべきか、それとも残るべきか、その判断に迫られた人々を取材している。

第七章「「無頓着」な科学者」
第三章の時にアメリカで「安全宣言」が出されたのだが、その決定のきっかけを作った科学者を取材した。今でも起こっている被曝リスクについても、未だに解明してされていない。いや「していない」という他無いという。

「核戦争」はいつ起こるかわからない状態になったと言える。その「核戦争」の危険性を訴えられるのか。世界で数少ない被曝国である日本がとるべき立場とは何か、それを考えさせられる一冊が本書と言える。

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