兵隊先生~沖縄戦、ある敗残兵の記録

沖縄戦―
それは、大東亜戦争において、もっとも悲惨な戦いの一つだった。兵隊や県民など多くの民が戦死し、その数は10万人以上にものぼる。その戦争の中で殺された者、自決した者、それぞれの魂が「ひめゆりの塔」に祀られている。

その過酷で、かつ悲惨な状況の中で、一つの光があった。日本兵として戦うも重症を負い、避難民キャンプに行き着いた。その先の小学校で教師となった。
本書は悲惨な戦いのなかにある一つの尊い光として、ある敗残兵の物語である。

第一章「深夜の斬り込み隊」
ある男は「陸軍航空隊」として整備兵として占守島に派遣された。その整備直後にアメリカ軍との交戦が行われた。多勢に無勢の状態だったが、深夜の中で突き進んで戦う「斬り込み隊」の様相を見せた。その戦いは激しく、男は手榴弾で重傷を負った。

第二章「亀甲墓の夜」
占守島を離れ、次なる戦地である、北谷村の亀甲墓という所が戦地となった。男はそこで、戦いの中で、住民たちの暖かい心に触れた。

第三章「急降下、鯨を爆撃」
しかし休んでいる暇はなかった。米軍の爆撃はとどまるところを知らず、空襲により、沖縄本土の8割が焦土と化した。その爆撃で死んだものには「鯨」もいた。

第四章「友軍だ! いや、敵だ!」
大空襲のあと、日本軍が艦隊を連れるなど、遊軍を回した、かに見えた。しかし男が見たのは日本軍ではなく、敵軍であるアメリカ軍の艦隊だった。

第五章「そして一人ぼっちに」
激しい攻撃の中で、男は隊からはぐれ一人ぼっちとなってしまった。一人ぼっちのなかで絶望し、竹槍で自殺しようとした。しかし死にきれなかった。死にきれず、また絶望していた中で、地域住民たちが手をさしのべてくれた。

第六章「イモ掘り隊が見つけたお荷物」
差しのべてくれたところは、生活のためにイモを栽培していた。季節はイモ掘りのシーズンだった。そこは「避難民キャンプ」であり、戦禍の中疎開した人々が避難のために住んでいた。男はそこにかくまわれた。

第七章「青空学校はじまる」
避難民の子供たちのために、学校の先生になってくれと依頼を受けた男は、青空の下で子供たちに授業を行った。授業内容は国語から算数などだった。子供たちに奮闘するなか、沖縄本土は戦いの緊張感にあった。

第八章「終戦は「八月十四日」」
米軍の侵攻は男が住んでいた所以外すべて受け、米軍独自で軍政区に分けた。
男がすむ避難民キャンプでは、その情報は伝わらず、そのまま終戦が伝わった、8月14日の夜だった。

第九章「お墓学校の運動会」
日本が敗戦となった玉音放送は8月15日だった。そのあと、沖縄はアメリカ領となり、アメリカ兵の尋問を受けるようになった。その後沖縄本土にある捕虜収容所に入った。収容後、沖縄をあとにし、故郷へ戻った。

悲しい戦いの中にあった、一筋の光、しかしそれは終戦後音を立てて崩れ去っていった。一瞬でしかない「光」は、教えを受けた子どもたちにとってどのように受け止められたのだろうか、後にどのような形として残ったのか、それは定かではない。しかし戦争という深い悲しみの中にも、一つの「光」があったことに間違いはない。