中世日本の内と外

日本における「中世」の時代はおおよそ平安時代末期から安土桃山時代に至るまでの事を表しており、本書もそれに準拠している。いわゆる武家が栄え始めた時であり、武士が政治の実権を握る、もしくは朝廷との対立を行ったり、朝廷を巡った武士や公家の対立が行われたりしたのもこの時期である。

本書はその中世時代における外交や貿易と言った、日本国内と国外との関係を「内と外」という形にして考察を行っている。

第一章「自尊と憧憬―中世貴族の対外意識」
最初は奈良時代から平安時代の中期にかけてであるが、この時は仏教などの宗教や商品などの貿易を行っていた。ただし、民間における貿易は全くなく、あくまで天皇や貴族・皇族・公家といった権力者階級たちが中心だった。

第二章「陶磁器と銭貸と平氏政権―国教を往来する人ともの」
時代は平安時代末期、平清盛が太政大臣に就任した後から壇ノ浦の戦いまでの事である。この時代でも朝鮮半島や中国大陸との貿易も行われており、陶磁器や銭貨を中心とした貿易が行われていたが、銭貨に対しては後に平氏滅亡の引き金となった。こちらについては「経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書」が詳しい。

第三章「鎌倉幕府と武人政権― 日本と高麗」
鎌倉時代になってから本格的な「武人政権」が始まった。しかし「NHK さかのぼり日本史 外交篇 [8]鎌倉 「武家外交」の誕生―なぜ、モンゴル帝国に強硬姿勢を貫いたのか」で書いたのだが、反侵略戦争の指導者が中心となったためである。また鎌倉時代における将軍や武人は商戦半島や中国大陸への貿易は平氏ほど積極的ではなかった。

第四章「アジアの元寇―一国史的視点と世界史的視点」
鎌倉時代における外国との関わりについて、もっとも有名なのが元王朝における、日本に対しての侵略である「元寇」が挙げられる。第三章で紹介した本にも詳しく記載されているが、本章では日本と元王朝で行われた、狭義的な意味合いでの「元寇」ではなく、元王朝から南宋・高麗(朝鮮半島)、そして日本までの進出を含めた、広義における「元寇」を表している。

第五章「「日本国王」の成立―足利義満論」
「元寇」によって幕府は弱体化し、時代は室町時代を迎えた。本章では室町幕府第三代将軍である足利義満を取り上げているが、南北朝統一ではなく、「日本国王」と呼ばれた所以と、朝鮮半島・中国大陸との関係性について考察を行っている。

第六章「中世の倭人たち―国王使から海賊大将まで」
室町時代には「朝貢貿易」によって明王朝と朝鮮半島の交易を行うようになった。しかし中国大陸では「中華思想(華夷秩序)」を、朝鮮半島では「小中華思想」を根幹に据えており、日本を「倭国」もしくは「倭人・野人」として蔑んだ。
ちなみに「倭寇」は豊臣秀吉が朝鮮半島を進行したときの事を差す人もいるが、それは間違いであり、朝鮮半島や中国大陸における海賊集団の略奪行為の事を表している。海賊集団の中には日本人もいたため、そう名付けられたという。

中世日本の歴史における日本と外国(特に朝鮮半島・中国大陸)との外交関係は時代とともに変化を遂げている。積極的に外交を勧めてきた時代もあれば、鎖国状態にほど近いものもあったのだが、日本は海外との関わりから、多かれ少なかれ動いていると言っても過言ではない。そのことを本書では教えてくれる。