一寸先は光

「一寸先は闇」という諺であれば誰でも知っているものである。これは「ちょっと先のことも全く予知できないことのたとえ(「広辞苑 第六版」より)」を表している。一寸先は現在よりも少し先にある「未来」、その未来は全く予想が付かない、わからないからでこそ「闇」と形容しているのかもしれない。

今の世の中、と言うわけでは無いのだが、昨今ではネガティブな意味での「闇」と言われる時代である。先行きが不透明というよりも、「お先真っ暗」と呼ばれるほど未来に明るさを見出すことができない。

本書の主人公である女性もまさに「お先真っ暗」の時代を過ごしてきた。派遣会社に勤めていたが、景気が悪くなり「派遣切り」に遭ってしまい、彼氏も住居も失われ、ホームレスに。自分自身もホームレスになった事は無いのだが、現実として「ホームレスになる可能性は誰にでもある」と言うことを暗に示しているように思えてならない。

そのホームレス時代に見つけたのが「遺品整理屋」を扱う会社だった。
「遺品整理屋」については昨年か一昨年にある国会議員との勉強会で聞いたことがある。給料は良く、最近需要が伸びてきているのだが、「遺品整理屋」が活況を呈している背景には「無縁社会」や「漂白社会」と言う言葉が横たわっている。「いつでも隣は他人様、何があっても不人情」と言うような状況が最近色濃く、団地でもそのような状況にあるのだという。

話を戻す。

「給料は良い」のだが、孤独死の残骸と遺品を回収するといった壮絶、かつ身も心も傷めるような仕事の連続だった。凄惨な場での仕事を行ってきた中で女性は何を見てきたのかと言うことを描いているのだが、おそらく著者は「遺品整理屋」の取材を行いながらも、そこで見た自分の心情を主人公と重ね合わさっているように表現をしているため、生々しさもあるのだが、心の葛藤を細かく描かれている所が印象的である。とりわけ女性と先輩に当たる部分とのやりとりは「修羅場」という光景にも見て取れるのだが、ギスギスしすぎていない印象もある。たぶん「修羅場」と見て取れるのはやりとりの間に遺体や遺品を描いているためなのかもしれない。

そう考えると本書のタイトルも「一寸先は闇」と言ってもいいのではないか、と勘繰ってしまうのだが、女性が務めている「遺品整理屋」にこそ、光があった。その「光」の正体は何物でもない「人」である。その「人」は女性や会社にとってどの立ち位置にいるのかは本書を見てのお楽しみ、ということにした方が良い。

本書を読んで直接連想したのが、ドラゴンクエストⅢのラスボスであるゾーマを倒した後の言葉にあるある限りもまたある」と言う言葉。その逆で 「ある限り「光」もまたある」と言う言葉を想像し、社会にある「闇」の部分にもまた、「光」と言う存在を見出した。だからでこそ、本章のタイトルが合致しているのではないか、と思えてならない。