老いのかたち

かつて「長寿」は縁起が良く、ポジティブに受け取れたのだが、ここ最近は長寿そのものが当たり前となり、むしろ「老い方」の良し悪しによって、良いものとなるのか、あるいは害悪となるとなることさえある。なぜそのように変化したのか、自ら1930年代とあり、高齢者である立場から「老い方」のかたちを定義している。

Ⅰ.「病気待ちの列」

老い方は人それぞれであると言えばそれまでなのだが、年相応の考え方や価値観は持つべきなのかもしれない。というのは健康に老いることは大切であるのだが、特にアンチエイジングをするあまり、「自分はまだ若い」と勘違いするような高齢者も増えている。またここ高齢者になると無料の健康診断が市町村によるが行われており、その状況についても綴っている。

Ⅱ.「友を送る―これも同窓会」

私自身、年に1~2回ほど高校や大学の同窓会機関誌が送られてくる。その中には大先輩にあたる方々がどこかで同窓会を行ったといった記録をよく見る。同窓会の雰囲気は色々とあるのだが、中には逝去した友を追悼するといった同窓会もあった方が良いのでは、と意見している。

Ⅲ.「老い遅れに気をつけて」

年齢的には明らかに高齢者であるにもかかわらず、「自分はまだまだ現役だ」や「まだまだ若い」といった風貌的に「老い遅れている」という印象を持つ高齢者が多くいるのだという。もっと言うと年相応の風貌、考え方ではなく、むしろ時代錯誤するような態度や言動をしてしまい、周囲に迷惑をかけるような事をおこなう人もいる。

Ⅳ.「「普通高齢者」がイチバン」

年相応であることが一番であるのだが、高齢者はどのような態度で臨んだら良いのか、自らの体験を交えて取り上げている。

Ⅴ.「<冷や水>とのつき合い方」

「年寄りの冷や水」と言う諺がある。これは、

老人に不相応な,危ないことや差し出た振る舞いをすることのたとえ。老いの木登り「大辞林 第四版」より

とある。高齢者によってはⅢ.の最後でも取り上げているような振る舞いを行う人もいる。同じ高齢者としてどのように付き合っていくべきかも考えていく必要があるという。

人は誰しも年を取る。年を取る中でどのような振る舞いを行ったら良いのか、本書を見る限り「人の振り見て我が振り直せ」と言うような諺を思い出さずにはいられない。年をどのようにして取るかという老い方は、若者であれば縁遠いかもしれないが、もし自分がどのように生きるかという後半から終盤にかけてを考えるにはどうしても必要なものであるため、どういった年のとり方をしたら良いのか、という参考資料にした方が良い。