たかがピンチじゃないか―人生の達人桐山靖雄に学ぶ、強く生きる知恵

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人は誰しもピンチに陥ることは度々ある。自分自身も学生の時に、社会人の時に、そして今この時でもピンチに陥る場合がある。「一難去ってまた一難」という言葉があるように、ピンチの状況から抜け出せても、またピンチの状況に陥ってしまうというようなことの連続のように思える。
ピンチの状況だと自分が何をして良いのかわからない、いわゆる「八方塞がり」の状態であり、その状態から知恵が働き、新しい事へのチャンスにつながるのだという。
著者、もとい著者の師匠である故・立川談志や本書で紹介される阿含宗の管長である桐山靖雄が、本書のタイトルにあるとおり、「たかがぴんちじゃないか」と諭している。
本書は著者が刺激を受けた桐山靖雄の教えについて記している。

<能力と努力>
「努力」に対する考え方について、色々な本を読むのだが、評価によって二分している。ある人は「努力は報われない」「努力は人を裏切らない」と言い、ある人は「努力は報われない」「ムダな努力をしてもしょうがない」という。
私はどちらも合っていると思うが、二分している理由は努力によって進む方角が決まっているかそうでないかの違いでしかないと言う考えである。
本章では「努力は報われる」という考えであるが、そもそも「努力」をすることこそ、一種の「能力」であるのだと言い、そこから自信を生み出すことができる。そして同じ「努力」を続ける事によって、壁にぶち当たり、それを乗り越えることによって人は成長することができる。また勉強や読書もまたピンチを乗り越えるために役立つ道具となる。

<発想と行動>
今やっている仕事でも当然ピンチが来る、ピンチというと思うように行かない仕事があったり、何よりも仕事の無い状態だったり、さらには仕事がありすぎて手が回らない状態だったりするようなことなのかもしれない。
他にも難しい決断に迫られたり、「火中の栗を拾う」様な仕事が舞い込んできたりと、苦難もあるのだが、その苦難をチャンスにしたり、自然体で構えることで乗り越えられる。

<姿勢と性格>
姿勢や性格は全て「心」から来ている。その「心」構えしだいで、人生における苦難を乗り越えることができるのか、あるいは負け癖が染みついてしまうのかが大きく変わる。自分にある「心」の中身、それは長所・短所はもちろんのこと、日々の経験、負け方といったものに表れるのだという。

ピンチは誰しも起こるものである。そのピンチに対して、武道で言うところの「心技体」でもって立ち向かい、乗り越えられるかによって成長の度合いも変わってくる。しかしその「ピンチ」は自分の目から見れば、相当苦難な事かもしれないが、他人から見れば本書のタイトルにあるように「たかが」なのだという。ピンチを尊いながら乗り越えることが人生を楽しみ、やがて自分では想像し得ない世界へと誘ってくれる。

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