靖国神社の祭神たち

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ちょうど68年前の今日8月15日は、大東亜戦争(太平洋戦争)が終結した。全国各地で戦没者慰霊が行われる。
と同時に戦没者慰霊として靖国神社に参拝する方々もいる。国民の中には国会議員もおり、閣僚もいる。かつては首相も公式参拝していたが、国際事情もあってか参拝しなくなった。
この靖国神社の参拝を巡り中国・韓国をはじめとした国々は非難の対象にしている。その理由はA級戦犯が祀られているからであるという。しかし靖国神社に祀られているのはなにもA級戦犯だけでは無く、吉田松陰をはじめとした維新の志士、日清戦争・日露戦争の戦没者も祀られている。
本書は約246万柱にも及ぶ祭神達は誰なのか、そして合祀の基準とはいったい何なのか、靖国神社の歴史とは何なのかについて解き明かしている。

第一章「東京招魂社の誕生」
「靖国神社」の元々の名前は「東京招魂社」であるが、それが造られたのは1872年の時である。建てられたきっかけは明治天皇の勅許によるものであり、大村益次郎が創立に尽力した。そのことから靖国神社本堂の前に高くそびえ立つ像が建てられた。創立したきっかけは幕末から明治維新にかけた戦争で亡くなった方々を慰霊するためであり、最初は戊辰戦争や明治維新の死者が祀られたが、主に芯政府軍側についたもののみが祀られた。
「東京招魂社」は1879年、明治天皇の命名により「靖国神社」と改められた。

第二章「対外戦争の時代へ」
明治時代に入り、日本は2度の対外戦争が行われた。「日清戦争」と「日露戦争」である。原材料法の戦争で合祀されているのは約10万柱(日清戦争:1万3千柱、日露戦争:8万8千柱)であるのだが、合祀される判断基準はめまぐるしく変わっていった。良く言われるのは戦死者・戦地で病死した者、戦地で敵に捕獲され銃殺された者、などが挙げられる。
さらに本章では井伊直弼や佐久間象山、伊藤博文など靖国神社に合祀されなかった人についても取り上げている。他にも維新前後で亡くなられた方の中で月日が経って合祀された人についても言及している。

第三章「変わりゆく合祀基準」
合祀基準はめまぐるしく変化をしているのだが、少なくとも合祀の基準としてあるのは日本のために戦地で亡くなられた兵士、あるいはそれに準ずる者が挙げられる。そのため日露戦争時代に活躍された東郷平八郎や乃木希典は合祀されていない。
さらに戦場で死んだからと言って、すぐに靖国神社に合祀されるわけではなく、陸海それぞれで編成される調査委員会で審査が行われ、陸軍・海軍大臣を経て天皇に上奏され、勅許を得ると言う形である。
その合祀手順は戦後、陸海軍の解散にともない、当時の厚生省が新しい合祀基準を定めた。

第四章「別格官幣社から宗教法人へ」
長年にわたって続いてきた靖国神社であるが、歴史の中で唯一焼失の危機があった。それはGHQによる「靖国神社焼き払い計画」がつくられ、実行されかかったことにある。焼失した後はそこに「ドッグレース場」を建てる計画が合ったのだが、賛否両論が起こり、当時のローマ教皇庁代表であった神父に箴言を乞い、「平等の心理」でもって、焼き払いは白紙となった。
それから合祀を巡った争いはあるものの、現在もまた英霊達の慰霊の場としてそびえ立つ。

第五章「A級合祀の日」
東京裁判におけるA級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1979年の時である。A級戦犯とは言っても全員ではなく、起訴され、かつ絞首刑に合った人7人、及び公判中・服役中に獄死した人7人の計14人が「法務死」、または「獄死」として祀られている。
A級戦犯の合祀そのものの合祀を進め決定したのは松平永芳だったのだが、今日まで松平の独断によって合祀されたと言われているが、そのプロセスは政府、民間などが関わり複雑に入り組んでいた。本章では合祀が決まるまでのいきさつを時系列に取り上げている。

第六章「「薄れゆく体験と関心」のなか」
靖国神社に合祀されている人は日本人兵士ばかりではなく、戦死した民間人もいれば、女性、さらには日本の戦争で亡くなられた朝鮮人や台湾人も含まれる。主に合祀対象は大東亜戦争で戦死、戦病死、あるいは敵地で死刑に処された者を対象としている。
話は変わるが靖国神社は約246万柱祀られているのだが、他にも数万~数十万柱祀られている神社が存在する。「護国神社」がそれにあたる。

大東亜戦争が終わって68年にあたるこの日。各地で戦没者追悼が行われている。靖国神社など様々な論争はあれど、戦争の犠牲を越えて今の日本があることを英霊達に向けて感謝する必要がある。靖国神社の謎はまだまだあれど、それを深めていくことによって靖国神社への畏敬、英霊達の畏敬が深まる一冊である。

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