遠野物語と怪談の時代

夏はそろそろ終わりを迎えるが、夏になると「怪談話」をよく聞く。「怪談」は落語の世界でも良く出てくるものとして「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」や「怪談 牡丹灯籠(かいだん ぼたんどうろう)」といった、いわゆる「怪談噺」がある。童話の世界でも怪談は存在しており、有名どころでは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がよく知られている。

日本にも怪談にまつわる伝説が存在しており、柳田國男をはじめ多くの民俗学者が怪談を発掘してきた。柳田國男が発表した怪談として最も有名な「遠野物語」である。「遠野物語」には河童や天狗、座敷童子など山人や死者が多数登場する。怪談作品の発展に寄与されてだけではなく、民俗学に至るまで影響を与えた作品としても知られている。本書は「遠野物語」から怪談話の発展について柳田國男本人とその周りの人物とのやりとりの実態について迫っている。

第一章「「怪談の研究」をめぐって」
「怪談」は柳田國男が「遠野物語」を発表する以前にも存在している。最初に書いた落語における怪談噺の多くは江戸時代~明治時代前半に発表されたものがほとんどである。しかも柳田本人は当初「怪談」を題材にするのはきわめて慎重な姿勢であった。怪談の中には嘘八百・眉唾物と言われるような、嘘話・空想話も存在している。江戸時代の新聞である「瓦版」にもそのような話はたくさん出てきており、実証が少なかったためである。
そもそも「怪談」は本当の話もあれば、前述の嘘話も存在する。とはいえ、柳田は両方の話を聞きつつ、実体験か伝承された話なのかを、何度もフィールドワークを行いながら、実証していき「説話」という形にしていった。

第二章「怪談ルネッサンス」
明治時代前半に隆盛した怪談話は時代が変化するにつれ廃れていった。その後に怪談話がフォーカスされるようになったのは1960年代末の「第一次妖怪ブーム」である。ブームの要因は大映映画「妖怪百物語」が公開された時期と重なる。本章では「妖怪百物語」の映画評と映画に至った背景を説明している。

第三章「泉鏡花と柳田國男」
柳田國男は怪談にまつわる説話を次々と発表したが、怪談流行のはしりとなった人物がもう一人いる。尾崎紅葉に師事し江戸文芸の影響を受けた小説化・泉鏡花の存在である。かたや「説話」、かたや「文芸」と畑は違うが、「怪談」を発表したところに共通点がある。
両氏の親交は深くなかったものの、昭和3年に「主婦之友」という雑誌が主宰した座談会をおこなった。本章ではその座談会の模様が記されている。また、親交は深くなかったものの、柳田は泉をひいきにしていた節があり、「龍土会」と呼ばれる文学サロンで発言したことがある。

第四章「「遠野怪談」三人男」
「三人男」は柳田、泉、そして妖怪学や不思議研究を行っていた哲学者・井上円了を指している。その三人は「怪談三人男」として大正8年から「都新聞」でコラム連載を行っていた。遠野物語についても取り上げられているが、それぞれ小説・説話・哲学と学問は違うのだが、解釈の方法も異なっており、見物と言える。

怪談にしても、説話にしても、「遠野物語」は切っても切れない。またこの「遠野物語」以降、「怪談文芸」と言われる作品が数多く出てきたのだが、怪談文芸の系譜の原点がここにある、と言える一冊である。