思想としての道徳・修養

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今、日本では「人間として生きる道」「モラリズム」を学ぶ機会として小中学校で「道徳教育」がある。その道徳教育が今の社会に生きているかというと、生きていない部分の方が多いように思えてならない。その大きな理由として「エゴイズム」の強大化が挙げられている。事例としては「モンスターペアレント」や「殺傷事件」、最近では「Twitterでの非常識写真投稿」などが挙げられる。子どもたちが悪い部分もあるのだが、そのように育てた親、そして社会全体も同罪である。
そもそも「道徳教育」の学習が始まったのは戦後始まってからの事であり、それまでは「修身」というのが道徳そのものだった。これは1945年にGHQにより国史(現在の「日本史」)・地理とともに軍国主義の象徴とみなして廃止させた。
本書は、そもそも「修身」「道徳教育」はいかにして成り立ったのか。そしてなぜ「道徳」を教育する必要があったのだろうか。「道徳」そのものの原理から道徳教育の変遷を紐解いている。

第一章「近・現代の社会病理」
元々日本における「道徳」教育が体系化されたのは明治時代に入ってからの事である。その時は「文明開化」と呼ばれ、欧米列強の文化を積極的に取り入れていった。当初この欧米列強の文化を積極的取り入れる風潮にあったのだが、明治天皇をはじめ、染まりすぎる事に関して批判的な人もいた。その一人として岡倉天心は「ヨーロッパの影響は、アジアの屈辱である!(p.36より)」と強く批判している。そもそも日本には神道もあれば、中国大陸から伝来した仏教・儒教があり、時代が経つにつれ、日本人の中で日本独自の教養・修養としていった。明治時代から昭和時代にかけては欧米の修養を取り入れつつ、日本の修養を調合しながら「教育勅語」「修身」の教育へと築いていった。

第二章「日本の近代化と教育」
そもそも「教育勅語」や「修身」が取り入れられた要因の一つとして、明治天皇・明治政府が「富国強兵」の目標を掲げ、欧米に追いつき・追い越すことをスローガンに掲げていた。論者によっては「教育勅語」そのものが天皇を絶対視、あるいは皇国教育を助長していると批判する人もいる。
教育勅語が廃止された要因もそれが重視されていたからである。
その後「道徳教育」が始まったのだが、ここでは「民主主義としての教育」の中での「道徳教育」を指している。そもそも「民主主義」は国家や政治的な制度の事を指しているのだが、戦前は「軍国主義」と否定し、これからは「民主主義」や「平和教育」を標榜して、道徳教育が進められた。

第三章「近代日本における修養の問題」
今だからでこそ修身や修養の復活を掲げている論者もいる一方で、「時代錯誤」「古くさい」「軍国主義の復活」と批判する論者もいる。
話は変わるが、そもそも「修養」とはいったい何なのか。調べてみると、

「学問を修め精神をみがき,人格を高めるよう努力すること」「大辞林 第三版」より)

とある。本来の意味であれば、大辞林で調べたようなことを理想としているが、なぜかそれが精神論として蔑まれたり、軍国主義の象徴としての言葉だったりと解釈されてしまう。しかし「日本人」としての精神を身につける、あるいは世界が尊ぶ存在としてどうあるべきかを学び、求めることが修養である。本章では「新渡戸稲造全集」や雑誌「修養団」などを取り上げながら、そもそも日本人における「修養」とは何か、について考察を行っている。

第四章「道徳と国家と国語」
本章では道徳教育のモデルとして二宮尊徳(二宮金次郎)を取り上げている。尊徳は江戸時代末期の農政家・思想家・武家奉公人として小田原藩で名をとどろかせた。勤勉・孝行・勤倹の三拍子が揃っており、近代における日本人のモデルとして明治時代から修身の教科書に取り上げられ、各地の小学校で銅像が建てられた。大東亜戦争になってその像は少なくなっていったのだが、金治郎像のほとんどが銅像で建てられており、戦時中の金属供出で使われた。

終身をはじめとした道徳教育のことを取り上げると自ずと教育問題に行き着いてしまう。日本の教育の中に道徳教育が存在するからである。道徳は人としての道、在り方、マナーなどが詰まっている。教育そのものが日本人としてのアイデンティティを築くことになると考えると、修身にしても、道徳教育にしても「日本人として」の教育とは何なのかを考え、教育としての形に構築していく必要があるということを本書にて考えさせられた。

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