TOKYOオリンピック物語

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2020年のオリンピックが東京に決まった。投票結果は1回目・3回目ともに圧勝した形である。元々有利に働いていたのは事実であるが、汚染水や竜巻報道により、若干不利に動いたと言われていたが、フタを開けてみれば、致命的になることはなかった。これから7年間、オリンピック開催に向けていろいろと動くことになるのだが、官・民共々開催、そして成功に向けて動いていくことだろう。
本書は今から49年前になる「東京オリンピック」が誕生し、開催されたことを記念して市川崑総監督の下で記録映画となったのだが、そこまでの経緯を裏で支えた人物の取材をもとに記している。

第一章「赤い太陽のポスター」
本書の表紙は1964年に行われたオリンピック開催のポスターであるが、日の丸の旗をベースとしたシンプルな作りとなっている。通称「赤い太陽のポスター」と言われているのだが、このポスターは3枚目のことで、前の2枚は「閃光」などをモチーフにしたのだが没になった。
ポスター作成にあたり、デザインセンターの設立などがおこなわれたり、後にJOC会長となる竹田恒徳(現JOC会長の竹田恒和氏の父)の出会いがあったりした。

第二章「勝者を速報せよ」
1964年に行われたオリンピックで投じられた経費は当時で約1兆円に及ぶ。アメリカメディアでも「きんぴかのオリンピック」と揶揄された。しかしその経費の中には新幹線や地下鉄の建設費も含まれている。オリンピック会場までのインフラ整備が急務だったからである。
また、オリンピックのための記録システムから、メディア整備など官・民あわせた開発も行われたのだが、前例のないことがたくさんあった。今の官僚たちは「前例至上主義」に覆われているのだが、東京オリンピック開催までは「官僚たちの夏」と呼ばれる作品のごとく、官僚たちにも情熱があり、前例がないことも進んで行われた。

第三章「1万人の腹を満たせ」
次は選手たちの「食事」である。世界各国の選手が東京に来ることから、各国の料理を大会期間中つくる必要がある。今でこそ世界各国の料理がレストランに立ち並ぶほど、料理のヴァリエーションはあるのだが、東京オリンピック当時はフランスや中華などの料理人はいても、東欧や中近東・アフリカ料理を作れる料理人がいなかった。ましてやフランスなど「食」を知り尽くしている国もたくさんあり、レベルの高い料理を作ることが求められた。
その料理まわりをすべて任せられたのは、帝国ホテル料理長である村上信夫だった。

第四章「民間警備の誕生」
オリンピックを行うためには警備が必要であり、選手村や競技場を中心に警備員を敷く必要があった。当初は自衛隊が「警衛隊」として担当したのだが、人員が足りなくなり、民間警備として「日本警備保障(現;セコム)」が委託を受けた。

第五章「記録映画『東京オリンピック』」
最初にも書いたとおり、東京オリンピックは市川崑総監督のもと「記録映画」となった。総監督を起用するに当たり、「世界のクロサワ」こと黒澤明の起用もあったのだが、黒沢本人の辞退により、市川崑の起用が決まった。なお、記録映画のために使われたカメラは1台しか使うことが許されず、さらにオリンピックそのものを映すため、失敗は許されなかった。また、監督をはじめとした周りの人との交渉も重ね、すべての競技を映画として入れる必要があった。
映画を記録・放映に当たって論争もあったのだが、記録的なヒットとなり、「犬神家の一族」に並んで、市川崑作品の代表作の一つとして挙げられるようになった。

第六章「ピクトグラム」
東京オリンピック開催に当たり、ポスターデザインだけではなく、「都市」「ロゴ」「服」など様々なデザインも必要になった。そのデザインのコンセプトとして「ピクトグラム(絵文字)」が採用されたのだが、それを作成するに当たって官・民の他に東大研究室の「学」も起用することになった。

第七章「宴の遺産」
東京オリンピックは大盛況のうちに幕を下ろし、成功を収めた。そして記録映画も大ヒットし、東京オリンピックは高度経済成長の象徴の一つとして今も語り継がれている。「オリンピック景気」が名付けられたように日本経済も大きく活性化し、経済も大いに発展したのだが、負の遺産もある。

「日本からは製品はやってくるけれど、日本人の目鼻立ちはわからない」(p.284より)

というように、日本人としての個性が失われ、現在がある。

56年ぶり2回目のオリンピックが7年後開催される。その間にも札幌・長野と2回オリンピックが行われたのだが、東京ほど多くの苦難があり、熱狂したオリンピックは存在しなかった。日中戦争により一度は頓挫してしまっただけに、「今度こそ開催する」という気概にあふれていたのかもしれない。そしてその熱狂は2020年、再びやってくる。

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