笑う大英帝国―文化としてのユーモア

イギリスは「紳士の国」と呼ばれているのだが、以外にも「パロディ」や「ジョーク」「ユーモア」にまみれた「笑いの国」だという。紳士的でありながら「ドライ」なイメージを持つ方も少なくないのだが、本書のように出てくる「ウィット感」は信じがたい、というほかない。しかしそれが「大英帝国」とよばれるイギリスの真実である。

本書は「笑い」にフォーカスを当てた「イギリス」の文化について迫っている。

第1章「笑いの王様―なぜ国王が必要なのか」
「王様」「国王」というのは、言うまでもなく「イギリス王室」のことを指している。イギリス王室には様々な歴史があるのだが、その「様々」の中には、国民から蔑まれるような人もいれば、決して公衆に見せられないような王族の姿まで映し出している。いわゆる「醜態」を晒しているように見えるのだが、それを諧謔(かいぎゃく)的にとらえながら風刺画などで公衆に伝えられているのだという。

第2章「政治家なんて―首相は踊る」
政治家の風刺画はイギリスのみならず、アメリカや日本などでもよく描かれる。しかしイギリスはユーモア溢れているものの、時として痛烈な皮肉を浴びせるようなこともある。
本章ではトニー・ブレアをはじめとした歴代首相から閣僚にいたるまでの風刺画を取り上げている。副題にもあるように、首相が天使の姿で踊っているものもある。

第3章「御主人様はアホですから―検事の伝統」
本章では裁判所の検事を風刺しているのだが、ここでは風刺画は出てこない。その代わり、検事や上流階級のことを風刺した小説・喜劇などを紹介している。

第4章「大英パロディ帝国―室内便器から株式売買まで」
「パロディ」は今も昔も存在しており、表現や言論の自由が保障されている世界中で使われている。しかし「パロディ」の中には「尊敬の念」でやっているものもあれば、批判・皮肉的な意味合いを込めてやっているものもある。
本章のサブタイトルにある「室内便器」は、一時は社会現象にまでなり映画化された、ある「ファンタジー小説」をパロディにしたものであり、後者の「株式売買」はもちろん投資家への皮肉である。

第5章「パロディまみれの島―「ピーター・パン」もミルトンも」
おとぎ話や宗教詩にも同じように政治・文化・社会に対する皮肉が込められている。特におとぎ話の「ピーター・パン」の中身は勧善懲悪のように見えるのだが、実際は所々「人種差別」や「貧富の差」を風刺している。

第6章「聖書も、戦争も―笑いのアナーキズム」
英国のパロディ文化は「聖域」とも呼ばれる様な所にまで踏み込まれている。「聖域」とはキリスト教のバイブルである「聖書」である。「聖書」にまつわるパロディは数多くあり、神々しさの中に庶民臭さもあれば、まさに社会を風刺するような作品まで存在する。中には「無宗教」を標榜するようなものまで存在する。
また、フランス革命から第二次世界大戦までの戦争を現代社会に置き換えて笑いを取ったものも存在する。

第7章「もしも私がゲイならば―Q・Cへのラブレター」
パロディと呼ばれる作品の中には「ポルノ」の作品もある。人種的なものもあれば、本章のタイトルにあるように「同性愛」をモチーフにしたものまである。

パロディ作品は今でも様々なものがあるのだが、面白おかしく描いているものを好意的に捉える人もいれば、真に受けて「名誉毀損」で訴える人も少なくない。ましてや「パロディ」そのものを否定する人までいるから困りものである。そもそも「パロディ」を作れるからでこそ平和の証であり、心的な余裕がなければパロディを生み出すことも、味わうこともできないのである。