<通訳>たちの幕末維新

江戸時代における日本には「鎖国」の状態にあったのだが、中国大陸(明・清の王朝)とオランダに限って貿易を行っていた。ただ、オランダ人や中国・朝鮮人だけが鎖国時代の日本に来たのか、と言う塗装ではない、シーボルトをはじめとしたドイツ人、トゥーンベリをはじめとしたスペイン人も日本にやってきていた。その窓口となったのが出島(長崎市の南部)だった。

その出島では、「通詞(つうじ)」と呼ばれる集団もいた。辞書で調べてみると、

「通訳。通弁。江戸時代、長崎に唐通事・和蘭(オランダ)通詞が置かれた。」「広辞苑 第六版」より)

とあるが、本書は少し意味合いが変わっており、

「通詞とは、文字通り『詞(ことば)を通じる』ために必要な人びとである。だが、彼らは決して、「通訳」ではなかった。確かに、通訳の仕事もしたが、彼らはあるときは翻訳者であり、あるときは商人であり、ある時は学者でもあるという多彩な側面を有していた。」(p.2より)

とある。つまり単なる通訳者ではなく、通訳を通じて様々な職業でもって商売をしていたというのが「通詞」の役割であった。
鎖国時代、出島において「通詞」の役割は大きかったものの、幕末になると、出島以外にも様々な港が開港し、多くの外国人が日本に渡ってきた。その時「通詞」はどのような境遇を受けたのか、と言うのを本書で解き明かしている。

第一章「オランダ通詞とは」
長崎にいる「通詞」の集団は「オランダ通詞」と言われた。「オランダ通詞」とはいってもオランダ語の通訳をしている集団もいれば、ポルトガル語の通訳を担う集団もいた。通詞の業務の中には最初にも行ったような通訳や商人、翻訳者といったものもあれば、交易や入出国管理、外国から将軍への輸送の付き添いなどが挙げられる。
鎖国の時代なのだが、「交易」は少なくなかった江戸時代、及び江戸幕府にとっては無くてはならない存在だった。

第二章「政治に翻弄される通詞」
通詞たちは商人、外国人だけではなく、第一章にも取り上げたとおり、幕府・藩士にも関わりを持っている。幕府・藩士に関わると言うことは、政治的な争いに多かれ少なかれ関わることもあった。
それは言語教育の他に、オランダをはじめとした国々の物資の輸入、さらには医療技術などの交易をどうするのか、各藩の競争に巻き込まれることもあれば、交易で有名な事件「シーボルト事件」においても通詞のかかわりが存在した。

第三章「ペリー来航と通詞」
通詞たちにとって大きな転換点となったのが、1853年にペリーが浦賀に来港したことである。そのときも英語を通訳することのできる通詞たちが関わったのだが、ペリーは日本を理解しているかどうか不明だが、オランダ語を話せることを前置きして語ったのだという。
それはさておき、通詞たちはペリー来港をきっかけに、長崎のみならず、江戸・浦賀などに東奔西走する日々を送った。その後にジョン万次郎(中浜万次郎)が日本に戻り、通訳として活躍したのはあまりにも有名な話である。

第四章「幕末と通詞」
時代は幕末を迎え、尊皇・攘夷運動が起こり、外国との交易も盛んに行われた、ますます「通詞」の役割も広がりを見せていたのだが、中でも英語講習も盛んに行われていた。その理由としては通詞以外に英語を扱える人がほとんどいなかったからである。その英語講習がのちに「岩倉使節団」など海外に向けて政治や国家を学ぶための大きな助力にもなった。
やがて時代は幕府が倒れ、明治維新になり、学問の世界に歩んだもの、軍に移ったもの、もしくは「通詞」として残ったものもいた。

「通詞」は鎖国時代の日本にとって、無くてはならない存在だったことと同時に、鎖国時代~幕末にかけての交易だけではなく、台所事情から文化、さらには政治に至るまで関わっていた重要な役割を担っていた。本書はそのことを知らしめた一冊である。