いま「食べること」を問う―本能と文化の視点から


「食育」という言葉が出たのは1896年頃に、医師であった石塚左玄が「化学的食養長寿論」にて初めて取り上げられたことから始まる。しかし当時はそれほど認知されていなかったが、時は経ちバブル景気の時代に入った頃から言われ始めた。「飽食」と呼ばれるほど食べ物が豊かになってから頻繁に使われ始めたのだが、その時代だからでこそ「食べる」ことについて問う必要があるのかもしれない。
本書は食品メーカーであるサントリーが栄養学・人類学の権威二人と、食のスペシャリストとの「鼎談」を行いながら、「食」の課題を紐解いた一冊である。

Ⅰ.「まず、「食べること」を考える―食の現代的課題とは何か」
第一章「栄養学者 伏木亨からの問題喚起」
第一部では「食」そのものについて「栄養学」「人類学」二つの観点から「問題喚起」を行っている。まずは「栄養学」の観点から「食育」「社会との関わり」「食糧自給率」など「文化」としての「食」を中心に課題を取り上げている。

第二章「人類学者 山極寿一からの問題喚起」
人類の進化は、「食」としての進化も同じようなものである。人間の生活としての「食」のスタイルは、「衣」や「住」のスタイルと密接に関わる。
それ故に「味」を含めた食の「ファッション化」の様相を見せたのだが、山極氏はそのことについて強い疑問を持っている。

Ⅱ.「「食べること」をめぐって―ゲストと語る」
第三章「日本の食文化」
日本の食文化の根源である「日本食」が世界無形文化遺産の事前審査が10月22日に通り、登録される見込みが高まった。日本古来からある伝統的な食事だが、海外でも「健康食」として取り上げられることが多く、ブームとなっている国も少なくない。
しかし、日本の食文化はいかにして築いたのだろうか、本章では「民俗学」「文化史」、そして教徒の摘草料理の主人との観点から鼎談を通じて、歴史と文化を紐解いている。

第四章「現代人にとって食とは何か」
「食」は生命の基本の一つであるが、社会の変化により、食は多かれ少なかれ変化を遂げていった。とりわけ大きな変化を遂げたのは、明治維新の時と大東亜戦争が終焉した時である。前者は西欧文化が入り始め、牛鍋(すきやきの原型)をはじめとした日本発祥の「洋食」も出てきた。後者はアメリカの食文化である、ファーストフード・ジャンクフードの文化が流入した。
その現代の食文化について、哲学者や精神科医の鼎談を通じて、危機感を募らせながら、食の現状と恐ろしさを伝えている。

第五章「つくる現場、食べる現場」
政府における「食」の制作というと、農業政策、貿易政策などがあげられる。もっともホットなものとして「TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋戦略的経済連携協定)」がある。
「食」として「つくる場」の根源は農業だが、その政策自体がミスマッチしており、「飽食」と呼ばれる時代にも関わらず、半分以上の食糧を諸外国から輸入に頼りざるを得ない環境にある。
農家の立場から危機感があるにも関わらず、私たちの生活の中には「危機感」が薄いのだろうか。これからの農業はどうあるべきなのか、本章では農政ジャーナリストやNPO法人の立場から分析を行っている。

第六章「子どもが育つ食」
「飽食」と呼ばれる時代であり、かつ食のヴァリエーションも多い故に、「食の乱れ」が起こりやすい環境にある。それを是正すべく「食育」という言葉が出てきて、「食」に対する教育を小中高の学校にて行われている。
なぜ「食育」の概念が生まれ、伝えているのか、本章では家政学からの考察のみならず、「食育」教育の当事者である、料理専門学校の校長と料理研究家が、「食育」の重要性について説いている。

Ⅲ.「「食べること」のそれから」
第七章「再び、食べることを考える―伏木亨 vs 山極寿一」
学者・料理人など多くの方々との鼎談を行ったうえで、「食」の進化を分析し、現状を知り、情報を整理し、本来の「食」の根源とは何かを考察すべく対談している。

第八章「次世代に向けて」
最後に対談・鼎談を通じて得たこと、そしてこれから「食」をどのように進むべきかを対談・鼎談を行ってきた人類学者・栄養学者が列挙している。
「飽食」の時代だからでこそ、様々な国の「食」がある時代だからでこそ、「食」そのものの意味を、日本人としての「食」を見直すべき時期といえるかもしれない。様々な学問から、当事者から「食」はどうあるべきか、そして読者である私がこれからの「食」をどうするのか、それを考えるきっかけになる一冊であった。

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