不幸な国の幸福論

「今の時代に希望はあるのか」
それは私に限らず、日本人全体に問うべき課題とも言えるものである。高度経済成長は「豊かになりたい」というただ一つの目的があって、実感できる成長を見出すことができたため「希望」を持つことができた、しかしバブルが崩壊し、誰もが目的そのものを失いつつ蟻、幸福や希望をも失ってしまっているように思えてならない。いや、むしろ「不幸」の種を蒔いているのは社会や国ではなく、私自身なのではないか、と思いさえしてしまう。
本書はなぜ日本は不幸になったのか、そしてそのような時代の中で「幸福」に生きるためにはどうしたら良いのだろうかを示している一冊である。

第一章「幸福を阻む考え方・生き方」
本書が出たのは2009年、ちょうどリーマンショックにより、好景気だったのが急速に衰退してしまったときである。政権も民主党政権に変わり、政治・経済共々右往左往してしまっていた時代だった。その時代前後には様々な凶悪事件があったのだが、中でも2008年6圧に起こった「秋葉原無差別通り魔事件」は強烈な印象を与えた。これは少年の凶悪さ、というよりも、昨今の社会そのものを投影しているように見えたからである。
自分自身を「不幸のヒーロー(ヒロイン)」と扱い、不幸を演じてしまっている人もいれば、悪い意味で子どもが大人に成り代わったような人も出てき始めた。
本当の意味で「幸せとは何か?」ということを考える前に、思考停止してしまっている、「自分は不幸な人間だ」とあきらめてしまっている、あるいはアイデンティティが未熟になってしまっている人が多いと指摘している。

第二章「「不幸増幅装置」ニッポンがつくったもの」
日本では毎年3万人以上自殺者を出している。この自殺者の多さは景気が良くなったとしても、悪くなったとしても変わりは無い。その背景には「高度経済成長」に伴いモノの豊かさ同時に「心の豊かさ」を犠牲にしてきた、過去が存在する。しかし高度経済成長期は「豊かになる」ことを目的・目標にしていたため、蔑ろになっても大丈夫だったのだが、バブル崩壊してからはそうはいかなくなり、心の病を持つ人も出始めた。
さらに経済の失速からきたものとして「依存症」がある。これはギャンブルや薬、と言うわけではなく、経済的に言うと、公共事業や既得権益の「依存」のことを指している。
「依存」と「心の豊かさの軽視」が「不幸増幅装置」を作らせ、増大していった。

第三章「幸福は「しなやか」な生に宿る」
しかし「幸運」「不幸」は考え方次第である。たしかに、「生きづらい」世の中であり、先が真っ暗な状態であっても、である。
そのような時にこそどのようにして「幸福」を持てば良いのか、考えれば良いのかわからない人も多いのだが、「生きがいを持つ」「幸福を生み出す」「活躍の「場」を増やす」などが挙げられる。

第四章「幸せに生きるための「老い」と「死」」
「超高齢社会」と言われて久しいが長い老年期を幸せに生きて、そして幸せに死にたいもの。「老い楽」や「終活」など様々な本が出回っているが、余命をどのように過ごすかによって「幸せ」「不幸」という考えが変わってくる。

人には誰しも「幸福」と呼ばれる瞬間がある。その瞬間を受け止めるのは自分の考え方次第で蟻、「幸運」「不幸」のさじ加減を決めるのも自分の考え方である。途方もない貧乏であったり、誰から見ても不幸な目にあったりしても「幸福」だと感じている人もいれば、大金持ちで裕福になっているにもかかわらず「不幸」だと思う人も少なくない。
「幸運」「不幸」は誰にでもある。それを受け止めるのはあなた次第である。