かつお節と日本人

食文化の中でも「名脇役」として名高いものは数多くあるのだが、中でも「かつお節」は用途が広い。出汁を取るのにも使えるし、おにぎりの具にも使え、さらにはお好み焼きやたこ焼きのトッピングなどにも使うことができる。それでいながらかつお節単体でも、香ばしい風味と独特の旨さが口の中に広がるので、個人的にはお気に入りである。

ともあれ、かつお節はどのように日本人に伝えられ、なぜ日本人に愛され続けてきたのか、本書はかつお節と日本人のつながりについて明かしている。

第1章「かつお節は日本の伝統か―たどってきた道」
かつお節は日本のどこから来たのだろうか。最も古いものではカツオ漁自体は古くから存在したと言われているが、かつお節は17世紀の終わりにはすでに土佐にてあったのだという。土佐から紀州、大坂へと伝藩し、少しずつ全国に消費地・流通網が成立していった。それ以降庶民によって愛されてきたのだが、大東亜戦争時は軍需品として重用された。

第2章「南洋に向かった沖縄漁民―明治から敗戦まで」
沖縄でかつお節が伝えられたのは1906年の事である。伝えられた所は池間島と呼ばれる島であり、本州からの移民の多い「移民の島」であった。戦前までは日本における生産地を代表する場所にまでなったのだが、戦後それが消滅してしまった。

第3章「大衆化するかつお節―変わる産地と生産方法」
戦前まではかつお節の生産拠点は海外を中心に広がりを見せていたのだが、戦後それがすべて消滅し、生産は大幅に落ち込んだ。しかし生産地を本州に移してからは生産量は回復し、さらに伸ばしていった。その中心となったのが鹿児島県であった。そして1972年に沖縄返還が行われたあと、再びカツオ漁、及びかつお節の生産地として復活し、沖縄を機軸にカツオ漁地を、再び南に進めることとなった。

第4章「赤道直下の一大産地―インドネシア・ビトゥンの80年」
戦前・戦後とカツオ漁の生産地を赤道直下、とりわけインドネシアだったのだが、その歴史は長く80年以上もある。では、インドネシアではどのようにしてカツオと接していたのだろうか、本章ではそのことについて取り上げている。

カツオ漁、そしてかつお節は江戸時代からずっと日本人に愛され、そして続いてきた。ただ、本書では具体的にどのように嘱されてきたのかはあまり言及されていなかった。むしろどこで生産し、どこで作られたのかと言う歴史が淡々と語られていた。とはいえ、カツオ漁と生産の歴史は詳しいので、それを知るためには格好の一冊と言っていい。