教育委員会――何が問題か

昨今から「いじめ」や「学力テスト」「体罰」など教育現場で起こる問題や事件が後を絶たない。その温床はいったいどこにあるのか、学校なのか、教育委員会なのか、日教組なのか、それとも日本人全体なのか、いったい「誰か」という分別は付きにくいと言っても過言ではない。

本書は「教育委員会」に限定して、どうして「教育委員会」ができたのか、そして長い歴史の中で、教育委員会はどのような問題が起こったのか、今年起こった教育現場での問題を中心に見出し、その上で解決策を提示している。

第1章「いま、なぜ、教育委員会が問われるのか」
教育委員会が問われるきっかけとなったのは、2011年10月に起こった「大津市いじめ自殺事件」である。この事件により、学校側、さらには大津市・滋賀県の教育委員会側の消極的対応が報道されたことにより、国民のボルテージが上がり、国・文部科学省が重い腰を上げざるを得なくなったことにある。しかし、時が経つにつれ「学校」と「教育委員会」の乖離が浮き彫りとなり、さらに、市町村の行政機関との乖離まで出てきた。

第2章「教育委員会とは、どんな組織か」
教育委員会は、首長による提案があり、そこから議会の承認によって教育委員が選ばれ、組織される。教育委員は大学教授や教育評論家、さらには文科省の完了はもちろんの事、民間会社の役員や主婦なども所によって選ばれることもある。それで組織された教育委員会は各公立の学校の教員の採用・研修・人事割り当て、さらには教員や学校の評価なども行われる。

第3章「教育委員会制度は、なぜ誕生したか」
1871年に文部省(現:文科省)が誕生し、教育制度がスタートした。各地方に教育機関が作られ始めたのは1890年、そのときに「教育委員会」の原型ができたのだが、このときは内務省の中央省庁から派遣されていた。
その後2つの世界大戦を経て、GHQによる行政改革が行われ、教育委員会が誕生した。1948年のことである。

第4章「タテの行政系列のなかの教育委員会」
中央省庁や地方に限らず官僚と呼ばれる所は「タテ割り」往々にしてある。これは各省庁の内部だけではなく、地方から中央にかけての「タテ割り」も含まれる。実際に「教育委員会」の立ち位置は、首長や議会の傘下として存在する。他にも教育委員会における教育長の協議会、さらには日教組などの「教育団体」は文科省の傘下として存在する。教育委員会に限らず、教育に関する団体もまた「タテ割り」として存在している。
その「タテ割り」の存在が、教育委員会そのものの存在、さらには日本の教育が破綻している温床にある。確固たる原因として「首長」と「文科省」が二重に支配しているところにある。その両方の意見が対立することになると、意見の食い違いができ、現場も身動きがとれないような状況になってしまう。

第5章「教育を市民の手に取り戻すのは可能か―地方分権と民衆統制への道」
教育は誰のためにあるのだろうか。それは国民のためにあるのだが、具体的に「教育の目的」とはいったい何なのか、という問いも生まれる。その問いと目的に答えるように具体化したのが「教育基本法」があり、かつ、そこから細かく教育方針や教科書に落とし込まれる。
では教育をどのように変えたらよいのか、それは「タテ割り」のシステムを廃し、中央で教育委員会を組織する、というシステムを提示している。

教育改革は常に続いているのだが、本当の意味で「改革」は本当に教育を受ける子供たちのための「教育」となるのかにかかっている。単純に「管理しやすい」「組織しやすい」というようなものではなく、子供たちの教育を通じて日本人を形成付け、そして日本を前向きにしていくような物にしていくことである。その役割のできる「教育委員会」を変えていくことは難しいもののやっていく必要がある。