中学受験

首都圏では5人に1人が中学受験をするのだという。 私は体験したことがないのだが、中学受験に関する問題集や参考書は見たことがある。中学受験とは言っても旭川では国立中学を受験すると言ったくらいである。首都圏は受験して入れるような国公立もあれば、私立もある。もっと言うと中学と高校の両方を併せ持った「中高一貫校」まであり、受験者も後を絶たない。

その要因には、先日取り上げた「学校と社会の現代史」の書評の時に、時代とともに、教育が変化すると書いたのだが、中学受験もその時代の変化がある。しかしどのような形で「変化」し、中学受験ができ、増えていったのか、本書はその背景と現状について分析を行っている。

第1章「親の負担と子どもの負担」
中学受験にも様々な理由がある。

「大学までエスカレーター(方式で進学できる)から」
「近所に自慢できるから」
「兄弟と同じ学校に進学したくないから」

最初と2つ目は親が教育熱心である家庭によくあるのだが、一番最後は親は教育熱心ではないものの、子どもの要因によって中学受験をするというものである。
そのことで子どもの負担は「受験をする」ことへの負担もあれば、進学したあとに公立中学とは異なる教育になることへの負担もある。
これに対して親の負担は、私立が特に言えることだが「学費」である。「学費」によって生活が一変してしまう。それだけではなく「感情」の負担もあるのだという。受験には面接が存在しており、親と帯同して面接を行う必要がある。またそれに向けた対策も必要になってくる。さらに受験用の教材を購入するのにも負担がかかると言う理由からである。

第2章「過熱する中学受験」
かつては公立の高校が東大への進学率が高かった。しかしいつのころからか中高一貫の進学校が上位を独占している(国立・私立とも)。その影響からか中学の内から進学できる中高一貫校に受験をする傾向が増えてきており、その影響で高校受験以上に中学受験が過熱化していった。

第3章「経営から見た学習塾と私立中高一貫校」
その中学受験の過熱化が相まって首都圏を中心に学習塾も、中学受験コースを作り、受験生の囲い込みに奔走している。そもそも合格実績を持つことが学習塾の看板であるため、受験生を囲い、実績を作ることが全てになってきている。その受験生の囲い込みによって、大きくなっていく学習塾もあれば、淘汰されていく学習塾もある。それが「業界再編」にもなっていった。

第4章「私立中高一貫校は“夢の楽園”なのか」
では、晴れて中高一貫校に進学することができたときからは、バラ色の人生になるのか、と思いきや、公立高校とは違った勉強のスピードについていけない、クラスで浮いたことよる小競り合いからのいじめなどが起こっている。特に中高一貫校の特色としては前者である。大学受験の時に精神科医の和田秀樹氏の本の中であったのだが、東大進学数日本一である灘中学・高校は中学の内から中学3年間・高校3年間の勉強をするのだという。さらに高校でも2年間で、高校3年間の勉強を行い、高校3年は進学希望の大学に向けての受験勉強をするのだという(※)。私学である分、独特のカリキュラムが設けられているが、スピードは尋常ではない、と言うのが窺える。
和田秀樹「受験は要領」より。

第5章「公立中高一貫校の躍進」
先ほど書いたのだが、中高一貫校は私立だけではない。国立もあれば、最近になって公立の「中高一貫校」も出てきている。特に最近では公立の中高一貫校が東大合格者を輩出するなど躍進が続いている。この公立の中高一貫校ができたのはごく最近のことであるが、これは「ゆとり教育」によって作られた産物の一つであったという。

第6章「教育格差の現場を歩く」
中学受験にも「教育格差」が出てき始めており、著者も取材を通してまざまざと見せつけられたという。「教育格差」とは何かというと、いくつかの側面があり、まず学生の家庭では「教育費」がまかなえるかどうか、さらに学校の側では「定員割れ」かどうかといったものがある。

本書を読んでいくと「教育はビジネスか?」という疑問がわいてきた。これは「医療はビジネスか?」という論題と同じく、立場によってそれぞれ答えが違ってくる。このブログではあくまで本の感想を述べるだけで、主義・主張に関しては避けて置くがそれでも、その疑問について一石を投じる一冊であることに間違いは無い。