アフリカ紛争国スーダンの復興にかける 復興支援1500日の記録

スーダンの情勢は今混迷を極めている、スーダン南部では、2011年に長い内戦の末に「南スーダン共和国」を誕生した。それでも内戦がずっと続いており、難民が絶えず、外国からの支援も全くと言ってもいいほどできておらず、四面楚歌と言っても過言ではない。しかし、プロローグに「夜は長すぎるが、朝は必ずやってくる」と書いてある通り、それを信じて、復興支援を行い続けている方々がいる。本書はJICA(Japan International Cooperation Agency:国際協力機構)が行ったスーダン復興支援を綴った一冊である。

第1章「なぜスーダンに紛争が相次いだのか」
復興支援の話に入る前に本章のタイトルにある「スーダン紛争」について詳しく説明をしておく必要がある。スーダンという国は1956年に独立し、誕生したのだが、そのときからずっと内戦が起こった。その要因には「南北対立」と呼ばれる民族対立であり、独立前から長きにわたって紛争の火種となっていた。しかし1972年に「アジスアベバ合意」に基づいて10年ほど和平期間があったのだが、再び扮そうが起こり、現在も続いている。

第2章「南北の包括和平合意を受けた動き」
日本ではスーダンに対して、ODA(政府開発援助)と言ったことを実施してきていた。他にも研修員の人材や機材といった技術協力やインフラ建設などの支援も行っていた。
ODAはずっと続けていると言ったが、1992年に南北紛争による人権侵害で13年間停止した時期もあった。それが再会するきっかけとなったのが本章の「南北包括和平合意」だった。

第3章「現地事務所の再開と事業拡大に向けた準備」
著者がスーダンで現地支援を行い始めたのが2007年7月のことである。現地事務所も同様であるのだが、それまでには場所の選定などのプロセスも存在した。やがて事務所が再開したあとは、支援の他にも事業を拡大する必要があった。

第4章「本格化した南部スーダン支援」
最近では南スーダンに関する事件が相次いでおり、昨年の12月には「南スーダンクーデター未遂事件」が起こった 。今でも支援を行っているものの、四面楚歌の状態にあるのだが、JICAでは2006年よりインフラの敷設を急いだ。しかし脅迫状をはじめとした「妨害工作」もあったのだという。インフラの他にも職業人としての人材育成も行ったという。というのは南スーダンでは復興のための仕事はたくさんあるのだが、技術・知識が必要であるため、見合った人材がいないと言うのが悩みだった。そのため支援としては職業機会を作るための教育・訓練があった。

第5章「北部スーダンにも支援を急いだ」
スーダンに限らず難民の多くは「女性」「子ども」「老人」といった方々である。その方々の命と健康を守るために医療支援を行う必要がある。著者は北スーダンで行ってきたものとしては前述の医療の他にも、命・健康を救うための一つとして「農業」の技術支援も行われた。

第6章「ダルフール、暫定統治3地域、そして東部スーダンへ、~紛争被災地域での取り組み」
南部・北部スーダンの支援が進んだ後に、本章のタイトルにある「ダルフール」や「暫定統治3地域」「東部スーダン」と言うような所の支援も始めた。3つの地域とも、職業訓練などの研修支援を行うことになった。しかし、本章で取り上げた地域の中にある「暫定統治3地域」や「東スーダン」はいつ紛争が再発してもおかしくないような所だったというので、武装解除や除隊といったことも行っていた。

第7章「新国家樹立に向けた支援~南部スーダンのその後」
南スーダンは2011年に独立し「南スーダン共和国」が建国されたのだが、それまでのこともJICAではインフラ面を中心に支援をしてきたのだという。主に都市開発を中心とした建設支援だったのだが、途中で事件が起こるなど心臓に悪いことも起こったという。

スーダンの復興支援は今でも続いている。しかし紛争の泥沼かがますます進んでいる中で、これまでせっかく進んでいた支援も頓挫してしまう可能性もある。そのような状態にあるのだが、支援は支援である。スーダンが1日も早い平和と安定を望むほかないのだが、これからどうなっていくのか「不透明」である。