豊かさへ もうひとつの道

「豊かさ」は時代とともに変化している。大きく変化しているものでは、高度経済成長の「モノの豊かさ」から、バブル崩壊したあとには「心の豊かさ」に変化していったものが挙げられる。しかし「豊かさ」と言っても個人で意味や考え方が異なるため、一概に「豊かになるためにどうしたらいいのか?」と言うことを推し量ることはできない。

本書は自らのエッセイや講演を綴りつつも、人間の豊かさとは何なのか、その本質を見出している。

第一章「生きてきた日々」
人にとって「生きることは何か」というお題は人それぞれあるにしても、すぐに答えは見つからない人が多い。私も同様である。

「生きること」

それは食べることもあれば、働くこともある。考えることもあれば、両親を中心にいろいろな人と関わることも挙げられる。
しかし、今の世の中には「生きている」ことへの実感がなくなりつつある。それは経済的に、精神的に「生きづらい」社会になっているためである。

第二章「暮らしをいとおしむ」
「暮らし」というのは何なのだろうか。調べてみると、

「1.くらすこと。時日をすごすこと。
 2.くちすぎ。生計。暮し向き。」「広辞苑 第六版」より)

とある。一応辞書の意味ではこうなったものの、ごくあたりまえに生きている私が「暮らしとは何か」と聞かれると答えに窮してしまう。もっと言うと「豊かな暮らし」とはいったい何なのか、という問題にも答えられない。
しかしこれだけは言える。私たち国民の生活が貧困化しており「ワーキング・プア」と言ったことにより、生活保護受給者が年々増加している。

第三章「自由でなければ教育じゃない」
著者は本章のタイトルのように、教育は自由でなければならないことを主張している。しかしいきなり教育が自由になったとしても、勉強をする人はなにを学べばよいのかわからない。教科書にしても、最初にどのようなものを選ぶべきかと言うのも大人が考える必要がある。
本章では「教科書検定」の方針に対しての批判的も、自ら社会科の教科書の執筆体験をもとに綴っている。

第四章「老いの価値を聴く」
最近では「おひとりさま」と言うようなことをよく聞くが、自分自身が老人になったら「おひとりさま」になるのかどうかについては、まだわからない。
それはさておき、昔は「老い」は大きな価値となっていた。願掛けにも「長寿」がよく言われていた。しかし日本は「超高齢社会」と言われているだけあって、「老い」としての価値がだんだん薄れていった。

第五章「もうひとつの道があるはず」
「もうひとつの道」に入る前に今までの「道」は簡単に言うと「競争社会」であった。その競争から脱し「助け合い」をする事による「道」があるのではないかと著者は主張している。

本書のタイトルに戻すと、第五章で述べられている通り、タイトルの答えには「助け合い」である。実際の日本では「助け合い」はおろか、「他人様」と呼ばれるように、お互いに声をかけるようなこともないような状態にある。そういう観点で「豊かさ」はモノもあれば、心もある。もっと言うと「人」の豊かさも必要なのではないかという考えも出てきた一冊だった。