ミッション・スクール

学校には色々なものがあるのだが、中でも「ミッション・スクール」というのは高尚さ、荘厳さのある響きがある。私立の学校であったり、女子校であったり、というようなイメージも少なくない。取り分け「女子校」のイメージは小説「マリア様がみてる」によって形成づけられたと言っても過言ではない。

しかし「ミッション・スクール」は女子校特有のものではなく、男子校もあれば、共学校も存在する。ではいったいどのような経緯で「ミッション・スクール」は誕生し、教育に取り込まれていったのか、その背景について迫っている。

第一章「忌避と羨望のアンビヴァレンス―明治」
キリスト教が伝来したのは戦国時代。その時代から俗に言う「キリシタン大名」が生まれたが、度重なる「キリスト教禁止令」により、長きにわたりキリスト教は根付かなかった、というより江戸時代ではキリスト教自体が「密教」と言われていた。
しかし開国し、1873年に「キリシタン禁制」が撤廃してからは、再びキリスト教が広がりを見せた。ただ、撤廃されたのはあくまで表面的なものであり、実際の日本にはキリスト教に対して、本章のタイトルにあるように、「忌避」の感情と「羨望」の感情との「アンビヴァレンス(両方の感情を抱くこと)」があった。そのような感情を持っていながらも、明治後期には「ミッション・スクール」がつくられた。

第二章「ミッション・ガール―明治から大正へ」
ミッション・スクールが現実にできあがってから、今度は文学作品の中に「ミッション・スクール」が形成づけられた。それが明治の末期から大正時代にかけて続いた。有名なものでは田山花袋(かたい)の「蒲団(1907年)」が挙げられる。

第三章「ファム・ファタル登場―大正から昭和へ」
大正時代から文学作品にも広がりを見せ始め、「ジェンダー」の観点から「ミッション・スクール」を描いた作品も出てきた。その一方で、当時の学生にあるような「立身出世」の精神とは相対する「ファム・ファタル」と言うものが出てきた。「ファム・ファタル」とは、

「男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)の意味。また、男を破滅させる魔性の女(悪女)のこと。」Wikipediaより)

とある。本章では後者のことを挙げている。

第四章「大衆の欲望回路の中へ―昭和から平成へ」
「ミッション・スクール」の存在は明治時代の頃から俗世とはかけ離れた存在だったのだが、戦後になって「大衆」の中にも「ミッション・スクール」の考え方、文化が入ってきた。「ミッチーブーム」から始まり、ライトノベルをはじめとした小説、漫画作品に「ミッション・スクール」を取り上げる作品が増え、「ミッション・スクール」が一つの「文化」として形成づけられている。

「ミッション・スクール」はそこでしか分からないことがある。しかし日本における宗教・教育の歴史を紐解くと「ミッション・スクール」の存在は切っても切れないものである。本書は日本の歴史をミッション・スクールの観点から見ていくというユニークな一冊である。