修羅場の経営責任―今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実

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「経営危機」というのはいつ、どこで起こるか分からない。それはたとえ大手企業だとしても、大手銀行だとしても、である。かつて銀行は潰れない企業の代名詞と言われていたのだが、今から17年前の1997年にその前提が音を立てて崩れ去った。何が起きたのかというと、「北海道拓殖銀行の破綻」「三洋証券の破綻」そして本書で紹介される「山一證券の破綻」だった。これらの事象のことを俗に「1997年金融危機」と定義するところもある。

本書はその中で最もメディアなどで取り上げられた「山一證券」の破綻とその後の金融業界の修羅場、さらに昨今話題となっている「企業の社会的責任」について危機管理専門の弁護士が自らの経験を元に迫っている。

第1章「山一證券破綻と社内調査委員会」
1997年金融危機は、いずれも11月に起こったことである、本書でも「魔の11月(P.15より)」と定義されている。しかしこの金融危機も突如訪れたわけではなく、バブル崩壊から断続的に経営の行き詰まりを見せ、噴出したのが同時期であったわけである。
山一證券の破綻が決定して、涙の記者会見、従業員全員の解雇、そして真相究明に至るまでのことを記している。特に真相究明のための「社内調査委員会」には外部委員として著者もいた。その委員会の内容は全部ではないものの、具体的な所まで、しかも時系列で綴られているところが印象的だった。

第2章「長銀破綻と国策調査との戦い」
金融危機は1997年だけでは終わらなかった。今度は日本長期信用銀行(以下:長銀)日本債券信用銀行が揃って破綻したのである。その中で著者は長銀の依頼を受けて長銀事件(長銀粉飾決算事件)の弁護人になった。第1章では追及する側だったのが、今度は追及される側の弁護人になった。その弁護は世間との戦いでもあった。ちなみにこの事件は刑事・民事の両方から裁判にかけられたのである。両方の一審・二審、そして上告審ともどのようなものだったのか、著者の観点から綴られている。長きにわたる事件だったために、事実の羅列だったのだが、それだけでノンフィクション小説を読んでいるかの感覚に覚えた。

第3章「「企業の社会的責任」を果たす「前向きの責任論」」
2つの大事件を追及する側・追及される側の両方で弁護を行ってきた著者は「企業の社会的責任」についてどう思っているのだろうか、そのことについて取り上げている。

バブル崩壊以降、「失われた10年」や「失われた20年」など言われているが、その中でも最も象徴的な事柄の一つに「1997年金融危機」が挙げられる。当時まで銀行や証券会社、ましてや大手企業は倒産しない、というのが常識として考えられていたのだが、それが完全に崩れ去り、今となってはリストラの嵐が吹き荒れている。もはや経営の現場はいつ何が起こるのか分からない。それは昨今の日本における災害対策と似通っている部分があるのかもしれない。

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